黄金列伝

月亭八方 陣内智則 月亭方正

放送内容

ブラックマヨネーズ

9月14日(日)
午後4:30~5:30

芸歴19年の人気お笑いコンビ・品川庄司。仲のよさをアピールするコンビも多い中、2人はときに激しく衝突し、殴り合いの大ゲンカを繰り広げたことを公言してはばからない。
そんな品川庄司がケンカを重ねながら絆を深めてきた19年を3つのブロックに分け、そのときどきの“幸福度”をおなじみの「幸せ・不幸せグラフ」で明かしながら、陣内、月亭八方、月亭方正のMCトリオとのトークで紐解いていく。

まずは、2人が東京NSCに1期生として入学した1995年から2000年まで。

今や“天然キャラ芸人”のイメージが定着した庄司だが、入学当時は品川によれば「NSCで一番の男前。ぶっちぎりで自信に溢れていた」とひたすらかっこいい“イケメン芸人”だったとか。
そんな庄司を「一回やってみっか?」と品川が誘い、コンビを組んでネタをやってみたところ大ウケ!
NSCの中でも成績上位の選抜クラスに入ることができたが、「徐々にネタがウケなくなってきた」という。それは、同期生にやたらと暴言を吐く品川が「嫌われ始めたから」と庄司。
自分が上位であるのをいいことに、下位クラスの同期に向かって「才能ないんだから辞めちまえ!」と言い放った品川に、庄司は「どうかしてる…」と震え上がったという。ついには同期生が“品川の悪口を言う会”を定期的に開くほど、やたらと周囲を挑発し、ケンカ上等!とばかりに怒らせていたという品川。
その理由は、品川が尊敬してやまないある大物芸人の「お笑い芸人は○○であるべき」という言葉を「間違って解釈していたから」らしく…。
果たして、品川をNSCイチの嫌われ者に導いたとんでもないカン違いとは?

 そしていよいよNSCを卒業し、プロの世界へと足を踏み入れた品川庄司。
東京の若手のホームグラウンドだった銀座7丁目劇場では客のウケもよく、当初は高かった“幸福度”も1999年にはどん底に突き落とされてしまう。
7丁目劇場が閉館となり、2人は活動の場を失ってしまったのだ。加えて、ネタ作りをひとりで担当していた品川は、ネタも書かずに私生活をエンジョイしている庄司にイライラを募らせ、手が出るほどの大ゲンカをしょっちゅう繰り広げていたというのだが…。
そんな当時のケンカの一部始終をカメラがとらえた、貴重な秘蔵VTRを大公開!本人たちは真剣そのものだが、そのマジメさゆえに「めっちゃくちゃおもろいことなってる!」と方正を爆笑させた衝撃映像とは?
さらに、品川と庄司のケンカをよく仲裁していたという先輩・ココリコの遠藤が、ヒリヒリした当時の2人の様子をVTRで証言!

 続いては、2001年から2005年。
2000年ごろから仕事も増え始め、2人の“幸福度”は浮上するが、品川曰く「大きなケンカが年1回はあった」らしく、コンビの仲は相変わらず。それはテレビ出演が激増するなど勢いに乗るにつれ、仕事に対する2人の意識の違いがますます明らかになってきたかららしい。
そんな当時の品川庄司を、親しい後輩のピース・綾部がVTRで激白する。品川は仕事の現場を「戦」ととらえ、バラエティー番組のひな壇ではいつも戦闘態勢。
一方、庄司は仕事には一切関係のない「○○のことしか頭になかった」というのだが…。果たして、品川を「ムカつく!」と激怒させていた、当時の庄司の関心事とは?
さらに2005年、決勝に初出場を果たした『M−1グランプリ』の秘話も告白!
優勝候補と期待されるも、結果は4位に終わった品川庄司。漫才の冒頭で「噛んでしまった」という庄司は責任を感じ、謝罪のメールを品川に送ったというのだが…。庄司を驚かせた品川の意外な返事とは?

 そして、2006年から現在。ここから“幸福度”グラフは二手に分かれ、2007年にかけて品川は上昇、庄司は下降線をたどる。
品川は、初めて書いた小説『ドロップ』がヒットし、映画化の際に監督を務めたのをきっかけに、映画監督としても活躍するように。
だが、品川が映画で忙しいためコンビの仕事が少なくなり、一気にヒマになった庄司は収入が激減してしまったのだ。
しかしそのころ、現在の愛妻“ミキティ”ことアイドルの藤本美貴に出会い、2009年にはめでたく結婚!それぞれが人生のターニングポイントを迎えていたこの時期、ここ数年は目立ったケンカもなかったという2人に、久しぶりの大ゲンカが勃発していたらしく…。
コンビを組んで初の「解散の危機」に2人を追い込んだという、壮絶な大ゲンカの顛末を品川庄司が激白する!

一覧へ
copyright