黄金列伝

月亭八方 陣内智則 月亭方正

放送内容

辻本茂雄

2014年2月22日(土)
午前10:30~11:25

 ゲストは吉本新喜劇座長・辻本茂雄。「茂造までケガと挫折の20年 不運の芸人・辻本茂雄」と題し、思わぬアクシデントと挫折を何度も繰り返しながら復活を遂げてきたという辻本の壮絶な芸人人生を、同期芸人のティーアップ・前田、辻本の“救世主”となった大先輩・間寛平らのVTR証言を交えながら振り返る!

 大阪の“文化”!吉本新喜劇を牽引する4座長のひとり・辻本茂雄。彼の演じる、舞台でハチャメチャに大暴れする爆笑キャラ“茂造じいさん”は幅広い層に大人気で、特に子どもたちから熱烈に支持されている。今や押しも押されもせぬ新喜劇のスターとなった辻本だが、20余年の芸人人生は壮絶そのもの!チャンスが訪れるとなぜか思わぬトラブルに見舞われ、どん底まで突き落とされてはまた這い上がってくるという苦難の連続だったという。そんな大波乱の歴史を、おなじみの「幸せ・不幸せグラフ」で“幸福度”の浮き沈みを明かしながら、陣内智則、月亭八方、月亭方正とのトークで振り返る。

 辻本は1986年、5期生としてNSCに入学。そのときの“幸福度”はなぜかマイナス100%とどん底をしのぐ超どん底だ。実は芸人ではなく、「競輪選手になりたかった」という辻本。高校は自転車競技の強豪校に入学。さまざまな大会で好成績を収め、将来を嘱望されていた辻本を、高3のとき、思わぬ不幸が襲う。検査で右のヒザに腫瘍があることが発覚!その後、左のヒザにも腫瘍が…!競輪選手の夢をあきらめざるを得なくなった辻本は「頭が真っ白で、夢もなんもなかった」と絶望のどん底。

 その後、ダウンタウンに憧れ、NSCに入学。“三角公園USA”というコンビを組んで活動する。そのころの辻本を“三角公園USA”の相方・坂上司さん、NSC同期生のティーアップ・前田がVTRで証言する。仕事は順調のはずなのに「とにかくイライラしてた」と当時の辻本を振り返る前田。辻本も「本当にどうしていいかわからなくて、ピリピリしてたと思う」と打ち明ける若き日の苦悩とは?

 しかし、デビュー3年目の25歳のとき、コンビは解散、吉本新喜劇に入団することになる。そんな中、新喜劇のあるベテランがアドリブで辻本の“アゴ”をイジった「アゴ本さん」というセリフが大ウケしたことから舞台の出番が増え、“アゴキャラ”として人気を博したが、辻本の心中は複雑で…。その初めての出演者のアドリブによる「アゴいじり」秘蔵映像も公開!若手時代から辻本と親しい方正も「初めて知った!今日、一番の衝撃です!」と仰天した“アゴキャラ”にまつわる辻本の意外な心情が明かされる!その後、ある理由から出番が激減し、くすぶっていた辻本を、なんばグランド花月の新喜劇で主役も務める「ニューリーダー」へと押し上げ、“幸福度”を一気に上昇させる救世主が現れる。それは、新喜劇の大先輩でもある間寛平。その浮上のきっかけを寛平がVTRで明かすが、後輩を気づかう熱い思いがそうさせたのか、寛平らしからぬ(?)大マジメなトークに陣内らはビックリ!

 そして、新喜劇入団から8年が経った33歳のとき、辻本に大きな転機が訪れる。吉本新喜劇の番組が全国ネットのゴールデンタイムに放送されることになり、そのレギュラー出演者に抜擢されて上京することになったのだ。番組はまもなく終了したが、「大阪の新喜劇を東京に!」という熱い思いで上京した辻本は、東京の劇場で舞台を続けることに。しかし、ある人からショッキングな言葉を告げられ、こころざし半ばに大阪に帰ることを余儀なくされて…。「今もそれを言われたときの悔しい思いが忘れられない。競輪選手をあきらめたときに匹敵するぐらい落ち込みました」と辻本が語る衝撃の言葉とは?

 東京から戻った辻本。ところが、またも3カ月の入院生活を強いられるアクシデントが起こり…。「何でこんなことに?とホンマに思った」と辻本。その大事件とは?

 そんな試練を経て、35歳で晴れて新喜劇の座長に就任!浮き沈みの激しかった“幸福度”はようやく安定し、同時にバラエティー番組でも活躍したが、当時共演した、今は亡きやしきたかじんさんの言葉に心をうたれることとなる。それが、今となっては「茂造」が大人気キャラになるきっかけとも言える言葉・・。

 新しい新喜劇に挑戦する中で“茂造じいさん”が生まれ…。辻本が大人気キャラの知られざる誕生秘話を明かすほか、新喜劇にかける熱い思いを語る!

 トークの合間には、18年前に茂造が新喜劇に初登場した時の秘蔵映像や、テレビに映らない新喜劇の舞台裏なども大公開!

 そしていつも満席状態の「茂造」新喜劇の稽古から本番までの舞台裏に密着!そこには意外な事実がいっぱい。

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