





今回の配達先は、ラトビア。ここでラトビアミトン作家として奮闘する鈴木亜衣さん(40)へ、兵庫県で暮らす父・幸三さん(68)、母・敏代さん(65)の想いを届ける。
亜衣さんと、娘の愛梨菜ちゃん(2歳2か月)が暮らすのは、首都リーガから約230キロの人里離れた土地。夫は羊飼いで、自宅の敷地は東京ドーム19個分もある。ここで60頭ほどの羊を育て出荷しているが、それだけでは生計が成り立たないため、夫は毎月1週間、泊まり込みでアルバイトに出ている。
亜衣さんが作る「ラトビアミトン」は、ラトビアで1000年以上前から編まれてきたもの。柄にはすべて意味があり、魔除けや幸福を願う幾何学模様が編み込まれている。ひと針ひと針、そうした意味や願いを込めながら編むミトンは、1日10時間編んでも、1組が完成するまで2週間かかる。「難しそうであればあるほど、編みごたえがある」という亜衣さんも、以前は1日の大半を編み物に費やしていたが、今は子育ての合間に編むのが精一杯だという。
25歳のときに編み物と出会った亜衣さん。その人生を大きく変えることになったのが、ラトビアミトンについて書かれた1冊の本だった。書店で表紙を見たとき、「こんな美しいミトンがあるの?」と大きな衝撃を受けたという。さらに、最初のページに載っていたのが、ラトビアの親子3代が糸を紡ぐ写真。そこにミトンを受け継ぐ想いと家族愛を感じ、心を動かされた。そんなミトンが生まれた国に惹かれ、2017年に初めて現地を訪問。以来、毎年ラトビアに滞在し、本場のミトン作りを学んだ。こうして憧れの地に移住して1年。広大な土地でほぼ自給自足の生活をおくりながら、初めての育児に追われている。
亜衣さんが16歳のとき、仲が悪くなっていた父と母が別居することに。父と弟2人の生活になり、ほとんどの家事を亜衣さんが担当していた。大学卒業後は介護士になるが、就職して1年がたった頃、仕事の大変さと家族関係に耐え切れなくなり、ついには適応障害との診断が。そんな精神的に一番辛い時期を救ってくれたのが、編み物。夢中になって手を動かすことで、症状は少しずつ上向きになっていった。一方、その頃には両親も再び一緒に暮らすようになったという。
ある日、亜衣さんがやってきたのは、年に一度開催される民芸市。国中の民芸品とその作り手が一堂に会するこの一大イベントに、亜衣さんの人生を変えた1冊「ラトビア柄の手編みミトン」の最初のページに登場するアニタさん一家の姿があった。9年前、初めて民芸市を訪れたときに憧れの一家に出会い、本そのままに3世代が糸紡ぎをしている様子に感動したという亜衣さん。今もその気持ちは変わらず、「自分が親から手仕事を教わったことがない分、3世代の家族の写真を見たときに羨ましさも含めて心が震えて、のめり込みました」と熱く語る。
しかし日常に戻ると、待っているのは家事と育児。この日は夫のパべルさん(43)がアルバイトから帰宅し、久々に家族で食卓を囲んだ。亜衣さんは愛する夫と娘との暮らしに幸せを感じている一方、育児の大変さを共感してもらえる環境ではない今は、孤独感もあると本音を明かす。
娘のラトビアでの日々を見た父・幸三さんと母・敏代さん。幸三さんは近くに話せる友人がいないことを心配しながらも、亜衣さんを救った編み物について、「それが仕事になって、生活の支えの一部になってると考えたら、いい出会いやったなあと思って…」と、しみじみ語る。
ラトビアミトンに魅せられ、憧れの地へ移住して1年。ミトンへの情熱を変わらず持ち続ける一方で、初めての子育てに悪戦苦闘する娘へ、日本の母からの届け物は、亜衣さんと娘の愛梨菜ちゃんのお揃いのスカート。裁縫は得意ではないものの、かつて娘のために作っていた頃を思い出して30数年ぶりに縫ったものだ。母のお手製と知り、感激して涙があふれる亜衣さん。そして「自分に正直に生きてみたら、今ここにいて、すごく幸せですし楽しいです。なので、お母さんにも父と一緒に、残りの人生をおだやかに楽しんでほしいです」とメッセージを伝えるのだった。