





今回の配達先は、バヌアツ共和国。ここでパイロットをしている清水裕迪(ひろみち)さん(37)へ、愛媛県で暮らす父・幹雄さん(66)、母・京子さん(63)の想いを届ける。
オーストラリアの東に位置するバヌアツ共和国は、83の島からなる群島国で、総面積は新潟県と同じぐらい。裕迪さんは、首都・ポートビラにあるバヌアツで唯一の国際空港を本拠地に、島々を行き来している。操縦するのは、1960年代の小型プロペラ機。定期便ではなく貸し切りで運行していて、あるときは国連の駐在員を乗せ、ポートビラから小さな島の無人空港へ飛んだ。
この日、2回目のフライトで向かったタンナ島では待ち時間ができたため、島で昔ながらの生活をおくる小さな集落を訪ねた。バヌアツには小規模の集落が無数にあり、部族ごとに異なる言語は110以上もあるといわれている。実は、バヌアツに来てまだ半年。観光客に聞かれたらガイドできるよう、この国の文化を学んでいる最中だという。
フライトの合間を縫って近所のスーパーで買い物をしていると、駐バヌアツ日本国大使に遭遇。さらにランチの誘いを受け、この国で唯一の日本料理店へ向かった。普段自炊の裕迪さんにとってはめったにない機会で、ずっと食べたかったといううどんを注文する。しかし、ここで会社から緊急の呼び出しが。離島からケガ人搬送の要請が入ったとのことで、念願だったうどんはお預けになった。こうしたことは日常茶飯事だという。
小学校2年生の頃からパイロットに憧れを持っていたものの、想いは胸に秘め、少年時代は野球に打ち込んだ。そして甲子園の常連である愛媛県の済美高校で、ピッチャーを務めるまでに。だが、プロの道は難しいだろうと考え、もうひとつの夢であるパイロットを目指すも、航空大学へも航空会社へも進路が開けず断念する。しかし大学生のとき、運命的な出会いが。1人で飛行機を見に松山空港に行くと、そこへ自家用機が降りて来て、パイロットに声を掛けられたという。飛行機が好きなことを伝えると、翌日、その小型機に乗せてもらえることに。このとき空を飛び、パイロットになることを心に決めた裕迪さんは、エアラインパイロットにならずとも自分で免許を取り、自分で飛行機を買うという道もあると知り、一念発起。アルバイトで資金を稼いで、アメリカでライセンスを取得する。さらに、経験を積むためパラオで3年フライトした後、2025年の秋、ステップアップしてバヌアツへやってきたのだった。
こうして夢だったパイロットにはなったものの、これまでのことは一切両親には報告していない。実は中学を卒業した頃から親子の会話がほぼなくなり、以来20年間、自分から連絡することはない。「照れくさいというか、思春期のまま大人になっちゃって…」と話す裕迪さんは、現在バヌアツにいることも伝えていないという。
幼い頃、地元の空港で見たプロペラ機には強い思い入れがあり、今後は最大級のプロペラ旅客機を操縦したいと考えている。そして一番の目標は、日本で飛ぶこと。だが、免許をランクアップするためにはまだまだフライト時間が足りないうえ、費用もゆうに1千万円を超える。それでも日本の空を飛びたい理由は、両親を招待できるから。「恥ずかしいけど、なぜ日本で飛びたいのかと考えたらそれに尽きる。親が死ぬ前に乗せたいですもんね」と秘めた想いを明かす。
母・京子さんはパイロットとして奮闘する息子の姿を見て、「知らなかったことを知れて…感謝です」と涙をぬぐう。一方、父・幹雄さんも「一応、役に立ってるんですね」と安堵の表情を浮かべる。さらに、「両親を飛行機に乗せたい」という裕迪さんの願いを知った京子さんは、「元気で生きていないといけないですね」とほほ笑む。
いつの日か日本の空を飛ぶことを夢見る裕迪さんへ、母からの届け物は手作りのアルバム。中学の卒業式までの写真とともに、これまで息子に伝えられなかった想いが綴られていた。最後には「このアルバムの続きを裕迪が母のために完成させていってください」とのメッセージが。そんな届け物に笑顔を見せる裕迪さんは、「今後、空いているページを思い出で埋めていきたいですね。それで、いつか僕がこれを渡せるように…」と新たに生まれた目標を語るのだった。