





今回の配達先は、イタリア・ミラノ。プロのサルサダンサーを目指す本城凜乃さん(20)へ、京都府で暮らす父・伸朗さん(50)、母・峰子さん(50)の想いを届ける。
ミラノにあるダンスアカデミー「ソーサ アカデミー ダンススクール」に通う凜乃さん。サルサとの出会いは12歳のときで、両親の影響で興味を持ち、一緒に習い始めた。高校卒業後、さらなるレベルアップを目指して、まずはアルバイトで資金を貯め、半年前にミラノへやってきた。
子どもからプロを目指す人まで、生徒数800人を超えるアカデミーを主宰するのが、フェルナンド・ソーサさん。世界で最も影響力があるサルサダンサーといわれ、ダイナミックで独創的な彼のダンスは「ソーサスタイル」と呼ばれている。サルサダンスは1960年代、ニューヨークのプエルトリコ移民を中心に誕生。ラテン音楽に合わせてペアで踊る情熱的なダンスは、基本ステップを軸に、ターンやキック、ソロダンスなどを自由に組み合わせて表現する。日本では数々の賞を獲得してきた凜乃さんがここへ来たきっかけは、サルサを初めて間もないときに観たソーサさんのダンス映像。「彼のもとで踊りたい」と8年間想いを募らせ、ついに海を渡ったのだった。
凜乃さんの1日が始まるのは、朝7時半。週末以外は毎朝1時間かけてミラノ中心部の語学学校に通う。休憩時間も勉強に励み、6か月たった今では日常会話とダンスに関しては困らないようになった。学校が終わればすぐにアカデミーへ。ソーサさんが認めた15人からなるアカデミーのプロチーム「トロピカル・ジェム」は、世界各国で公演を行うサルサ界最高峰のプロチーム。凜乃さんはアカデミーの生徒で、唯一プロチームの練習に参加させてもらっている。練習の合間には、近くのスーパーマーケットへ夕食の買い出し。そして再びアカデミーに戻ると、様々な先生から教えを受ける。あるときは、フラメンコの要素を取り入れた表現力を高めるレッスン。表現力はまだまだ課題の一つで、弱点を克服するため時間がある限りレッスンを受けている。
レッスンを終えた凜乃さんが向かったのは、アカデミーの片隅にあるダンサーの控室。ホームステイ先はあるものの、レッスンが深夜に及ぶため、ほとんどここで寝泊まりしているという。サルサ漬けの毎日でアルバイトもできず、円安の影響で物価は日本のおよそ倍。渡航前に貯めた資金で細々と生活する。食事は決まって、狭い控室で作った野菜とツナ缶と目玉焼きのどんぶりだ。
サルサに対する熱い想いを決定づけたのは、中学生の頃。集団行動が苦手だった凜乃さんは、中学校に通えない時期があった。だが、そのときに自分を救ってくれたのがダンス。「ダンスをしているときだけ自分でいられた。やっぱり表現することが、私の人生の中で必要なこと」。学校に行けなかったときも、両親とスタジオへ行って一緒に踊れば、みんなが笑顔になった。サルサは不安定な思春期の凜乃さん、そして家族を救ってくれたのだった。
ミラノでの娘を見て、父・伸朗さんは「頑張ってるなあって…うれしいですね」とその奮闘ぶりを喜ぶ。そして「前よりも強くなったというか、前向きになったなあと思います」と変化を感じたようだ。ただ食事に関しては、母・峰子さんも「食べさせてあげたいなあ…」と心配する。
この日はプロチームの練習に参加していた凜乃さん。まだまだ実力差はあるものの、同じステージに上がるため、先輩たちに必死で食らいついていた。ソーサさんはそんな凜乃さんの持つ“魔法のようなエネルギー”を認め、先のイベントで凜乃さんのデビューを用意していると明かす。
思いこがれたダンサーを追いかけ海を渡り、過酷な生活の中、サルサに打ち込む娘へ、両親からの届け物は食料。海苔やお菓子など、凜乃さんの好物が箱一杯に詰め込まれていた。さらに凜乃さんがサルサを始めた頃の写真と、両親からの手紙も。日本では年上のお姉さんたちとチームで踊っていたといい、写真を見ながら「今もプロチームに食らいついてやっているし、始めたときから変わってないなあって…。でもこの経験があるから、諦めずに頑張れているのかなと感じます」と語る凜乃さん。そして両親には、「今は元気にやってるので、心配しないでねと言いたいです。本当にヤバくなったら連絡するけど、まだまだ頑張ります」と笑顔で感謝を伝えるのだった。