





今回の配達先は、スロバキア。柔道家の出口隼矢さん(24)へ、神奈川県で暮らす父・一政さん(57)、母・美香さん(56)の想いを届ける。
スロバキアの山間にある田舎町、バンスカー・ビストリツァ。隼矢さんは2024年4月に移住し、トップアスリートを育成する総合スポーツクラブ「ドゥクラ」で柔道のコーチをしている。練習は早朝5時から夜7時まで。この日は、翌日に大会を控えたメインチームの特訓が行われていた。現地の母国語はスロバキア語だが、若い世代は英語が話せるため、指導は英語で行っている。実は、隼矢さんはもともと英語がまったく話せなかったが、技の名前など練習で使う単語には日本語が多く、ジェスチャーを交えれば問題なく伝わるという。一方、柔道に対する心構えなど精神面を伝えるのは難しく、2年かけてようやく浸透してきた。また、言葉で指導するヨーロッパのコーチとは異なり、隼矢さんは自ら体を張って選手と向き合う。これまでスロバキアでは重視されていなかった乱取りのトレーニングも今では定着し、「やっと本気でやる練習ができるようになった」と手応えを感じている。さらに「コーチはただ立っているだけでなく、やっている姿を見せて、『意味があるんだよ』ということを自分の行動で示すようにしています」と考えを語る。
選手以外にも、幼稚園児から社会人までおよそ80人を指導。また、見学で訪れる親には柔道の歴史や魅力を知ってもらおうと、パソコンでチラシを自作している。今ではその行動すべてが柔道につながっているが、もともと隼矢さんの家族はバイク一家だった。父も兄もバイクの世界で活躍。隼矢さんも2歳の頃にはすでに乗りこなしていたが、どうしても怖さが勝り、やめてしまう。だが、活発な子どもだったこともあって、両親はさまざまなスポーツを経験させた。その中で楽しさに魅了され、のめり込んでいったのが柔道。そこからは柔道一直線で、16歳で地元を離れ、強豪の東海大付属高校へ。その後、当時活躍していた阿部一二三選手が在学する日本体育大学に進んだ。するといきなり、全日本ジュニア出場のチャンスが。だが、結果は初戦敗退。人生で一番の挫折を味わい、初めて柔道を辞めようと考えたという。そんなとき、父から言われたのが「せっかくここまでやってきたのだから、お前の価値を証明するのは柔道。柔道を生かした職業に就きなさい」。この言葉をきっかけに「柔道で生きてやる」と決意した隼矢さんは、ありとあらゆる知人に連絡してつてをたどり、運よく募集していたスロバキアでのコーチ職をつかみ取ったのだった。
迎えた大会当日。チェコ、ウクライナ、ハンガリーなど近隣9か国による「スロバキアグランプリ」には、ドゥクラからも数多くの選手が参加。隼矢さんも忙しく各試合を行き来していた。この日、一番輝いたのは13歳の注目株・シモンくん。初めての国際試合で決勝進出という快挙を果たし、最後は見事一本勝ちで優勝。チームドゥクラは実に19個ものメダルを獲得し、総メダル数は全体の2位という成績を収めた。
息子のウクライナでの日々を見た母・美香さんは「きっと周りの人に親切にしてもらっているから、彼は幸せですね。もう少し、帰ってくるのは我慢します」と心境を明かす。また、息子にかけた言葉は軽い相談に乗ったぐらいの気持ちだったという父・一政さんだが、「今の映像を見て、勇気をもらいましたね」と感心する。
藁にもすがる想いでこの地に渡るまで、スロバキアという国がどこにあるのかも知らなかった。しかし指導者としての道に活路を見い出し、全力で生きる息子へ、両親からの届け物は14歳で初めて授かった黒帯。実は、大切にするあまり、これまでスロバキアに持ってくることができなかったもので、隼矢さんは「うれしい」と感激する。一方、父からの手紙にはひとこと、「学費ローンが残っているぞ!」。思わず笑みがこぼれる隼矢さん。そして「自分は柔道が好きなので、それをここスロバキアで誰かに伝えられるように。もちろん強さを目指すけど、強さだけでなく、柔道を続けることに意義を感じてもらうという考えを伝えられるよう、頑張りたいと思います」と語り、再び前を向くのだった。