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#8345月3日(日) 10:25~放送
アメリカ・ロサンゼルス

 今回の配達先は、アメリカ。フルート奏者の岡本恵子さん(62)へ、岡山県で暮らす妹の典子(みちこ)さん(60)、同じく妹で東京在住の聡子さん(58)の想いを届ける。
 全米第二の都市・ロサンゼルスは、1850年までメキシコ領だったという歴史を持つ。そのため今も人口の3分の1をメキシコ系の住民が占める、ラテン文化とのつながりが深い街だ。恵子さんはここでマリアッチのバンドに所属し、フルートを演奏している。「マリアッチ」とは、人々の喜びや愛、友情、郷愁などを歌うメキシコの民族音楽。バンドはバイオリンやトランペット、小型ギターのビウエラなどで構成される。恵子さんが所属する女性だけのバンド「マリアッチ・ディーヴァス」は、グラミー賞に8回ノミネート、3回受賞を果たした世界有数のグループ。25人ほどのメンバーの大半はメキシコ人で、恵子さんは23年前に加入した唯一のアジア人だ。しかも、マリアッチバンドには通常フルート奏者はおらず、恵子さんがバンドに加入したことでフルートのパートが生まれた。今では他のマリアッチバンドでも、フルートを演奏することが普通になっているという。
 5人きょうだいの長女として生まれた恵子さん。父は30代で会社を立ち上げ、軌道に乗るまで家計は苦しかったというが、姉妹3人をピアノ教室に通わせてくれた。こうして6歳でピアノを始め、中学校で吹奏楽部に入るとフルートに転向。大学卒業後は難関を突破し、自衛隊の音楽隊に入隊。大相撲の初場所など、華やかな場所での演奏を経験した。その後、5年ほどで自衛隊を辞めると、プロを目指して銀座の高級クラブで演奏のアルバイトを始めた。だが、クラシックもジャズもこなすピアノ奏者と共演する中で、クラシックしかできないことに引け目を感じるように。そこで、意を決して30歳で渡米。名門・バークリー音楽大学に入り、フルート専攻でジャズを学んだ。しかし、練習のしすぎで腱鞘炎になり、道半ばにして大学を中退。当時の恋人と結婚するも5年で離婚。さらに、その経緯もきちんと話せないまま、翌年には父が他界した。将来が見えなくなっていたそんな頃、出会ったのがマリアッチ。その明るさに心を奪われた恵子さんは、40歳を前にマリアッチの演奏家として生きることを決めたのだった。
 とはいえ、マリアッチのバンドだけでは生活が厳しいため、日本人の男性合唱団の指導など様々な音楽活動を行っている。また、演奏のレパートリーを増やすべく、様々なジャンルのミュージシャンと合同練習も。さらに自宅には、ギターにエレキベース、チェロ、バイオリンなど10種類以上の楽器を所有。ヴィオラは50歳から始めたそうで、音楽をより深く理解したいのはもちろん、何より常に新しいことに挑戦したいのだという。
 ある日は、いつもとは違うバンドでパーティーでの演奏に臨む。オファーがあったのはわずか2日前だが、これは日常茶飯事。恵子さんは詳しい内容もわからないまま、高級住宅街へ向かう。マリアッチを演奏するバンドはお祝いの席に呼ばれることが多く、この日のパーティーも家主の結婚50周年を祝うものだった。恵子さんはフルートの演奏に加え、40歳から学び始めたスペイン語で歌い、さらにはお客さんに交じってダンスも。実に2時間半にわたる舞台を楽しんだ。
 音楽とともに生きる姉の日常を見た、妹の典子さんと聡子さん。聡子さんは「マリアッチが性格に合ってると思います」と笑う。さらに、パーティーで歌やダンスまで披露した姿に「多分、父親譲りです。父親も目立ちたがり屋で、そのDNAが入ってますね」と明かすと、典子さんもうなずく。
 6歳でピアノを習ったことで始まった音楽の道。何があっても前向きに、楽しみながら歩み続ける姉へ、日本の妹たちからの届け物は55年前に使っていた楽譜。当時、家計が苦しく楽譜が買えなかったため、父が手書きで写してくれたものだった。妹からの手紙には、実は父がたびたび恵子さんのことを自慢気に話していたことが綴られていた。父とはあまり会話がなく、どう思われていたかはわからなかったという恵子さんだったが、このことを知り、「そうやって見守られて、やってこれましたね。もう天国に行きましたけど、上から見ててくれてると思います」と語り、しみじみと家族の想いをかみしめるのだった。