過去の放送

#8304月5日(日) 10:25~放送
オーストラリア

 今回の配達先は、オーストラリア。ブドウ農家の松崎絢子さん(45)へ、埼玉県で暮らす父・重男さん(72)、母・己雪さん(72)の想いを届ける。
 メルボルンから車で5時間のビクトリア州ミルデュラは、人口3万人ほどの田舎町。土地の大半は農園で、ワイン用ブドウの産地として知られている。絢子さんはここに、夫のエンリケさん(45)と始めた農園「Budou Farms(ブドウファームズ)」を構え、10ヘクタールもの広大な土地で、現地では珍しい食用のブドウを育てている。始まりは12年前。もともと農学者で、農業コンサルタントをしていたエンリケさんがある日、荒れ果てたブドウ畑を衝動買いし、絢子さんは突如、ブドウ農家になった。しかももうすぐ初めての出産というタイミング。だが人手が足りないため、出産して2週間後には畑に出て働いていた。母子ともに体調を崩しても助けてくれる人はおらず、トラクターも1台だけ。生活はギリギリで、忙しい時期には埼玉で暮らす絢子さんの両親まで収穫に駆り出されたという。
 収穫したブドウはすべて輸出し、その90%は日本へ渡る。2014年、オーストラリアのブドウ3品種の輸入が日本で解禁されると、絢子さんは500~600件もの日本の取引先に電話をかけ交渉した。オーストラリア産ブドウの強みは、日本産とは真逆の季節に店頭に並ぶこと。販売先を日本に絞ったことで収益が安定し、倉庫や巨大冷蔵庫などの設備も整い、トラクターも増えた。農園と共に成長した娘の杏咲さんは現在11歳。家族と暮らす家は、農園を購入したときに付いてきた中古の3LDKで、田舎ゆえに不便も多いが、それも当たり前の日常として受け入れているという。
 昔から決してたくましかったわけではないという絢子さん。日本では大手アパレル会社に就職し、華やかな毎日をおくっていた。だが、「本当にやりたいことはこれじゃない」と25歳でオーストラリアに移住。生活のため、農園でアルバイトを始めた。当時は仕事もわからず、英語も話せず、つらい思いをしたが、そのとき助けてくれたのがエンリケさん。その数年後には2人は夫婦となった。
 そんな激動の人生をおくる絢子さんを3年前、さらなる試練が襲った。母に病が見つかったのだ。しかし遠くオーストラリアからは何もできず、ただひたすら「元気になりますように」と祈る日々だったという。
 現在、症状は落ち着いているという母・己雪さん。今の絢子さんの様子を見て、「子どもが小さいときはおんぶして苗木を植えたり、もんぺを履いてがんばっていたんですよね」と懐かしそうに振り返る。また、農園を手伝ったこともある父・重男さんは娘へ、「これからずっと続いていくのが一番いいことだから、あまりこっちに心配をかけないように、続けられるだけ続けてもらえたら」とエールをおくる。
 夫婦2人では生産できる数に限界があるため、数年前からは賛同してくれる農家を集め、ブドウの輸出量を増やしている。そのため休みの日には契約農家を訪ね、指導を行いながら品質をチェック。「妥協して出荷して、日本について腐っていたらもう終わり。生ものなのでなあなあではできないです」と絢子さんは力を込める。
 自由気ままで、時に暴走気味なブドウ一筋の夫に人生を預け、農業の未来を切り拓く娘へ、両親からの届け物は祖母が大切にしていたオルゴール。実は、祖母はオーストラリアに来て 1週間後に逝去した。だが当時、1年後の再会を約束していたという絢子さんはその頃を思い出しながら、「今はオーストラリアで胸を張って、『頑張りました』って報告ができるかなと思ったんですけど、このオルゴールを見たらこれからも走り続けないといけないなと思いました」と涙ぐむ。そして、「両親には『もう大丈夫よ』、『もうちゃんと生きていけるよ』って伝えたいですね」と語り、力強く前を見据えるのだった。