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#8293月22日(日) 10:25~放送
アメリカ

 今回の配達先は、アメリカ。レーシングドライバーの古賀琢麻さん(48)へ、愛知県で暮らす母・洋子さん(72)の想いを届ける。
 ノースカロライナ州シャーロットは、大人気モータースポーツ「NASCAR(ナスカー)」の聖地。琢麻さんはこの街を拠点に、NASCARに参戦している。NASCARは楕円形のコースを何十周も回り順位を競うレースで、クラッシュは当たり前という荒々しさも魅力。レースは全米規模から地方大会まで数々開催され、琢麻さんはトップ4に位置するハイレベルな大会で戦っている。昨年は48歳にして、年間ランキング5位という過去最高の成績を収めた。
 シーズンの開幕戦が行われるのは、NASCAR発祥の地であるデイトナ・ビーチ。前年の成績上位者のみが出場できる、特別なレースでもある。琢麻さんは昨年、初めて決勝に進出したものの、クラッシュに巻き込まれ無念のリタイヤとなった。そんな完走しただけでも名誉とされる大舞台・デイトナが、3日後に迫っていた。NASCARの「ARCA Menardsシリーズ」はレースごとの順位でポイントが加算され、年間の合計でランキングが決定。トップ10に入れば、賞金は10億円を超えるともいわれる。開幕戦はポイントが増額されるため、特に上位に入ることが重要だ。デイトナでは、1周およそ4キロを80周して順位を競う。1時間半にわたりほぼアクセルは全開で、最高時速は300キロオーバーにも。集中力と持久力が問われる過酷なレース。しかも出場するレーサーはほとんどが20代で、48歳の琢麻さんは群を抜いて最年長となる。
 1年のほとんどをレースに費やす。そのため日本で家族と過ごすのは年末年始ぐらいだが、息子の瑛輝くん(10)も4歳からゴーカートを始め、数々の大会で優勝。そして今年、日本人史上最年少でNASCARのジュニアレースに出場することに。この先、親子が同じ舞台で戦うことも夢ではないという。
 とにかく車が大好きで、将来はレーサーになると決めていた琢麻さん。母子家庭で、母が2人の息子を育てる一方、小学生の頃から新聞配達で資金を貯め、12歳になるとカートの免許を取得した。同じ頃、トム・クルーズ主演の映画「デイズ・オブ・サンダー」に登場するNASCARに魅了され、2000年、22歳で念願のNASCARデビューを果たした。かつて母に言われた言葉が、「夢は絶対に叶うんだ」。その言葉を信じ、夢を実現した琢麻さんは、自分に魔法をかけてくれた母に感謝する。実は結婚後、安定した生活を求めて一度は引退。しかし、10年のブランクを経て39歳で復帰した。そして「48歳の今が一番調子が良い」と語る。
 「夢は絶対に叶うんだ」という母の言葉が原動力だった琢麻さん。それを知り、「じんとしました」と母・洋子さんは喜ぶ。だが、実は続きがあると語り、「『ただし、努力しないと叶わない』。やりたいと思ったら、自分がそれに向かって努力しなければ叶わない。そう言っていました」と明かす。
 迎えたデイトナの予選。7台が同時に走り、2周のうち速い方のタイムで決勝のスタート位置が決まる。しかし開始直後、ライバルチームが琢麻さんをブロック。決勝には進んだものの、40台中35番手からのスタートとなってしまった。
 いよいよNASCARでも一番の大舞台・デイトナに挑む息子へ、母からの届け物は、幼稚園の頃に使っていたスケッチブックと、小学生のときの自由帳。スケッチブックは車の絵ばかりで、自由帳にはカタカナで様々な車種の名前がびっしりと書かれていた。当時の自分の情熱に、琢麻さんも思わず笑みがこぼれる。さらに、母が心情を綴った手紙を読むと、「子どもの頃の目標は、とにかくお金持ちになって母親にいい暮らしをさせることだった。レースの結果で返したいですね」と胸に誓う。
 そして開幕戦当日。ポケットには母の手紙を忍ばせていた。運命の一戦は35番目からのスタートで、序盤は焦らず後方から様子を伺う。レースは波乱の展開となり、クラッシュも続出。だが接触を紙一重で回避した琢麻さんは、見事16位で完走。このシリーズで、デイトナをアジア出身のレーサーが完走したのは史上初という快挙だった。大一番を終え、笑顔の琢麻さん。だが「今回は完走っていう目標でしたが、次はやっぱり勝ちたいですね」と再び前を見据えるのだった。