





今回の配達先は、アメリカ。ここでシェフとして活躍する森下昌子さん(45)へ、兵庫県で暮らす父・隆行さん(78)、母・涼子さん(71)の想いを届ける。
首都ワシントンD.C.で、1984年創業のレストラン「Perry’s」のメインシェフを務める昌子さん。実は、料理を始めたのはわずか4年半前だというが、2024年には全米の優れたシェフに贈られ、“アメリカ料理界のアカデミー賞”とも呼ばれるジェームズ・ビアード財団賞の「新進シェフ賞」を獲得した。母方の祖母にご飯のおいしさを教えてもらったという昌子さんが作るのは、味噌汁や玉子焼きなど、日本の家庭料理をアメリカの食文化に合わせてアレンジした創作料理。この日は12月30日で、定番メニューと並行して年末年始のスペシャルメニューの仕込みも行うため、いつにもまして大忙しだった。多い日には400人が訪れる繁盛店だが、昌子さんが来る前はシェフがおらず、冷凍のシュウマイを提供するような状態だったという。そこから昌子さんはオーナーやスタッフと衝突しながらも、メニューや仕入れ先、調味料まで変更。老舗レストランを人気店へと押し上げたのだった。
かつて昌子さんは、倍率数十倍ともいわれる超難関、アメリカンフットボールNFLのチアリーダーだった。ワシントン・レッドスキンズ(現ワシントン・コマンダース)のチアリーダーとして2014年から5年にわたり活躍。キャプテンまで務め、完全燃焼した。その後、チアのパーティーで振る舞った手料理を仲間が喜んでくれた感動が忘れられず、イベントなどで料理を提供していたところ評判を呼び、シェフとしてスカウトされたのだった。
午後5時。オープンと同時に店には続々とお客さんが訪れ、わずか1時間で満席に。昌子さんはキッチンスタッフへ指示を出しつつ、料理の仕上げと最終チェックを行っていた。だが超多忙ゆえ、メインシェフといえども料理を運ぶなどフル稼働する。結局、朝10時から最後の片づけが終わる夜11時まで、休憩どころか座ることすらなかった。
神戸市長田区で酒屋と立ち飲み店を営む両親のもとに生まれた昌子さん。高校時代、アメリカ留学で出会ったチアリーディングに魅了され、帰国後は大学・社会人とチア漬けの日々を送った。そして32歳の時、3度目の挑戦で念願だったNFLチアリーダーの試験に合格し、ワシントンD.C.へ移住する。だが家族、特に母と祖母はずっと反対していたという。さらに、飲食業の苦労を知る両親は、料理の道に進むことにも反対だった。しかし日本の家庭料理をアメリカで提供する理由について、昌子さんは「根本にあるのは、お母さんの料理が大好きだったこと。ケンカをしたときも必ずご飯はあって、それを食べたら怒っていた気持ちがやわらいだ。なのでうちに来たお客さまにも、ご飯を食べている間だけでも幸せな気持ちになってほしいし、そういうレストランでありたい」と語る。
娘がアメリカで奮闘する様子を見て、父・隆行さんは「店で料理をしている姿は初めて見たので、感動ですね」と感慨深げ。母・涼子さんも「それだけすごく頑張ったんじゃないかなというのは想像がつきます」と娘の努力に思いを巡らせる。
正月には、朝食営業に初挑戦。「日本の正月ならではの特別感を味わってもらいたい」と、創作料理ではなくアレンジ一切無しの和食で勝負し、当日は全ての席が予約でいっぱいになった。両親の反対を押し切り、自らを育んだ家庭料理でお客さんを幸せにしたいと頑張り続ける娘へ、家族からの届け物はチアリーダーの昌子さんを紹介した日本の新聞記事。母からの手紙には、「いつも頑張り過ぎてしまうのは、小さい時から一生懸命頑張ることが美徳のように育てたせいかもしれないなあと、今は少し反省しています」とのメッセージが綴られていた。そんな言葉に昌子さんは、「私は常に頑張りたい人なので、それはお母さんに反省してほしくない」ときっぱり。そして「頑張ることは自分の強みのひとつだと思っているので、頑張りすぎて壊れない程度に、これからも頑張り続けたい。それで、お母さんやおばあちゃんが作ってくれた料理の味をこの国の人たちに、ちょっとお裾分けしていきたいなって思います」と熱く想いを語るのだった。