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#8273月8日(日) 10:25~放送
イギリス

 今回の配達先は、イギリス。蜜蝋(みつろう)ジュエリー作家の木原功美子さん(60)へ、京都府で暮らす父・澄夫さん(95)、母・智恵子さん(89)の想いを届ける。
 ロンドンから電車で約1時間、ビスターという街で家族と暮らす功美子さん。元はダイニングだった自宅の一角を工房にしている。功美子さんが手掛ける「蜜蝋引き目」は、ミツバチの巣から取れる蜜蝋で原型を作って石膏で型を取り、そこに溶かした金属を流し込んで固めるという日本の伝統技法。飛鳥時代から仏像制作などに使われていたといわれるが、今や日本でも継承する人が少なくなった貴重な技だ。功美子さんはそんな蜜蝋引き目でシルバーなどを使って作品を制作。昨年、ロンドンの有名な展示会に出展したこともあり、ジュエリーは少しずつ売れ始めているという。
 実は、蜜蝋引き目を始めたのは56歳のとき。大学卒業後に大阪でジュエリーデザインの仕事に就いたものの、「自分の手で作りたい」とスペインへ渡った功美子さんは、27歳でジュエリー作家になった。そして現地で出会ったイギリス人のミックさんとの結婚を機に、イギリスへ移住。当時はシルバーを叩いて形を作り出す「打ち出し」という技法を用いていた。その頃、ギャラリーに作品を置かせてもらっていたが、ギャラリーが相次いで潰れ、立て続けにジュエリーを持ち逃げされるという不運が。これに心を痛めた功美子さんは、ジュエリー作りから離れることを決意する。それから15年、偶然インターネットで目にして心を奪われたのが、蜜蝋引き目で作られた日本の作品。打ち出しだけでは出せない、自然の動きが表現できる技術に惹かれた。しかし、イギリスには情報がほとんどなかったため、日本へ出向いて技術を習得。56歳にして新人作家として再スタートしたのだった。もうひとつ、ジュエリー作り再開のきっかけとなったのが、娘の花さん(28)。箱にしまったままになっていた功美子さんの昔の作品を見た花さんは、「こんな素敵なジュエリーは置いておかずにちゃんと売るべき」と進言し、花さん自らモデルとなって作品を撮影して、ハンドメイドのサイトに出品。こうして眠っていたジュエリーが突如売れ始めたことが、功美子さんの背中を押してくれたのだった。
 日本の貴重な技法から生まれるその形は、世界にひとつしかないもの。そんな蜜蝋ジュエリーが徐々に知られるようになり、うれしい反面、実は大きな悩みを抱えていた。そこでロンドンに出向き、2年前に展示会で出会って以来、目をかけてくれているグレゴリーさんに相談することに。グレゴリーさんは、貴金属職人を育成するゴールドスミスセンターで働く人物。「ひと目で自分の作品だとわかる個性を出したい」という功美子さんの悩みに、グレゴリーさんはあるアドバイスをおくる。その助言に現状を打破するヒントを得た功美子さんは、新たなデザインを模索し始める。
 功美子さんは、愛媛県で3代続く旅館を営む家庭に生まれ、幼少期は裕福な暮らしをしていた。しかし中学3年生の時に旅館が倒産。一家は京都に移住した。母・智恵子さんは子どもに悪いことをしたと落ち込んでいたが、そんな母に功美子さんは「これでよかったね。あのままだったら人の痛みを知らないまま過ごしたと思う」と声をかけたという。その言葉に救われた母は、新しいことを始めようと48歳で油絵を習い始め、今では近所の飲食店に絵が飾られるほどの腕前に。そして今、同じく遅いスタートを切った娘の姿を見て「よく頑張っていると思います」とうれしそうに語る。
 一度はあきらめたジュエリー作家の道。娘の後押し、さらには新たな技法に出会い、60歳にしてさらに羽ばたこうとしている功美子さんへ、日本の両親からの届け物はワンピース。祖母から譲り受けた古い着物を、洋裁が得意な母・智恵子さんが仕立て直した。タグには母の名前が刺繍されていたが「CHIEKO」の「I」が抜けていて、それを発見した功美子さんは思わず大笑い。だが次第に感情がこみ上げると、目には涙があふれる。そして「これを着てますます頑張ります」と決意を新たにするのだった。