





今回の配達先は、ニューカレドニア。ここで暮らす岩本雅子さん(45)へ、滋賀県の父・弘人さん(78)、母・あや子さん(75)の想いを届ける。
南太平洋に浮かぶニューカレドニア本島から北東へ約100キロ。ウベア島は、1966年に出版された森村桂の旅行記「天国にいちばん近い島」の舞台になった小さな島で、どこまでも続く白い砂浜とターコイズブルーの美しい海が広がる。2006年、ウベア島に渡った雅子さんは夫のルドヴィックさん(51)と出会い、運命を感じて結婚。今は4人の子どもとともに半自給自足の生活をおくっている。だいたいの食材は自然からの恩恵を受け、水道はなく基本的には雨水を使う。家はすべて島の人達に手伝ってもらい手作りしたもので、家族の寝室は「カーズ」というココナッツの葉を編み込んだ屋根を葺いたウベアの伝統的な住居。別棟のリビングやキッチンは屋外にある。何もかもが便利な日本とは真逆だが、その分時間がゆったりと流れているという。
ルドヴィックさんは漁師で、海が穏やかな日は息子と従兄弟を連れて漁に向かう。一方、浜に残った雅子さんや娘ら女性陣は潮干狩りをして食材を調達する。家に戻ると家事の時間。ウベア島の家庭に電気が通ったのはほんの6年ほど前で、今は洗濯機や冷蔵庫を使えるようになったものの、雅子さんが島に嫁いだ頃は夜になると辺りは真っ暗になっていた。そんな原始的な生活を強いられる娘の結婚に、母は当初大反対していたという。
すっかり日が暮れて、漁に出ていた船が戻ってくる頃には家族総出で再び浜へ。灯台がわりに車のバックライトを点け、船を出迎える。この日は大漁で、ひと月5万円もあれば暮らせていけるウベアではいい稼ぎになったようだ。ウベア島の食事は、電気がなかった時代の名残で昼の1回のみ。翌日は、獲れた魚を調理して食べた。家族で集まって世間話などをしながらわいわいと楽しむ昼食の時間は、まるで毎日が正月のようだという。
金銭的には貧しいウベアの人々。市場など人が集まる場所では必ずビンゴ大会が行われ、主催者がビンゴカードを売って必要なお金を手に入れるというユニークな風習も。そんな生活について、島の大酋長は「『島は助け合いで生きている』その掟をずっと子ども達に伝えてきた」と語る。そして「雅子は島の宝。日本から来た私の娘だ」と話す。
雅子さんがこれほどまで愛される始まりとなったのが、ひとりの日本人と島の人達が共同で建てたホテル「パラディ・ド・ウベア」。かつて「天国にいちばん近い島」が映画化されると、その反響で連日ホテルは日本人客で満室に。島には活気と富がもたらされ、日本人との親交も深まったのだった。そんなホテルで働くためにウベア島に渡った雅子さん。近年はコロナと円安の影響で日本人客が激減したが、島の人達と日本人が築いた賑わいを取り戻すため、経営者が変わった今もホテルに残り奮闘している。
島での娘の日常を見た日本の両親。不便な生活を心配していた母・あや子さんは、電気があることにひと安心する。また父・弘人さんはそんな娘と自分はタイプが似ていると笑う。
雅子さんは、天国にいちばん近い島での生活を一冊の本にまとめた。そこに書き記されたのが「天国はどこにでもある。心が豊かであれば」という一節。「心のあり方とか、考え方とか、生き方そのものが自分だけの天国を作り出すんだよっていうことをお伝えしたいなと思って。どこであっても生きてるだけで幸せなんです」と雅子さんは言う。
ウベア島に渡り19年。日本とは真逆の生活の中で自然の恵み、最愛の夫、たくましい子ども達に囲まれ生きる娘へ、両親からの届け物は画家である父が描いた一枚の絵。南の島で穏やかな笑顔を浮かべる女性と、それを見守る神様の姿が描かれていた。これはかつて両親がウベア島を訪れたときに懸命に生きる娘の姿を見て、帰国後に娘の幸せに祈りを込めて描いたもの。雅子さんは「父の祈りをそのまま受け取りたいなと思います」と感激する。さらに父からは「ムリセズ イキテヤ~」という手紙も。父らしいエールに笑みがこぼれる雅子さんは、「周りからは『めっちゃ頑張ってるやん』って見られることが多いので、もっと楽にしててもいいのかなってこの言葉を見て思いました」と両親が込めた想いを感じ取るのだった。