





今回の配達先はサイパン。ここでダイビングガイドをしている守屋洋海さん(27)へ、群馬県で暮らす父・利久さん(57)、母・真寿美さん(56)の想いを届ける。真寿美さんは、「サイパンは観光客が減っていて、洋海が勤めているところも事業を縮小することが決まり、洋海も辞めなければいけなくなった。でもこれからのことを何も聞いていないので、それも含めて見てみたい」と息子の現状と今後を心配している。
サイパン島は東京から直行便で3時間半という利便性と、世界屈指の透明度を誇る美しい海が魅力で、日本では海外旅行の定番スポットとして名を馳せていた。だが今はかつての賑わいを失い、日本人観光客に至ってはピーク時から9割以上も減少している。洋海さん自身、サイパンには子どもの頃から毎年家族で訪れていて、今は当時から世話になっている島最大のダイビングショップ「アクアコネクションズ」で働いている。だが今後、店はスタッフの多くを解雇する予定で、洋海さんも今年いっぱいで職を失うことが決まっている。
そこで洋海さんがガイドの仕事以外に取り組んでいるのが、水中写真。8年ほど前から撮り始め、趣味で撮った写真をSNSにアップしたところ、ダイビングガイドと同じぐらいに撮影の依頼が増えていったという。ある日はサイパン観光局から依頼を受け、かつてのお得意様だった日本人にサイパンの魅力を広めるため、日本人のインフルエンサーをモデルに撮影を行うことになった。今回は第二次大戦中に沈んだとされる飛行機・零式三座水上偵察機をバックに撮影。こうして捉えたのは、海底に横たわる飛行機に祈りを捧げているかのような女性の1枚で、サイパンの海が洋海さんというフィルターを通すことで、幻想的な光景へと生まれ変わっていた。
海の無い群馬県で育った洋海さんは、毎年家族で行くサイパン旅行を何よりも楽しみにしていた。そしていつか、第2の故郷ともいえるサイパンでダイビングガイドとして働きたいと思うようになり、高校卒業後にインストラクターの免許を取得。沖縄やタイで経験を積んだのち、コロナ禍が明けた2023年に念願の移住を果たした。しかし、サイパンはツアーの安売りが加熱した結果、利益を得られなくなった航空会社や現地の海外企業が撤退するなどして、賑わっていた繁華街も多くの店が閉店。さらにコロナ禍が追い打ちをかけ、観光客は激減していた。そんな状況に、「寂しいですけど、海のきれいさは昔とは変わらない。自分の好きなサイパンはまだ残っている」という洋海さんは、少しでも多くの人にこの美しい海を知ってもらいたいとの思いで写真をSNSに投稿し続けてきたのだった。
一方、ダイビングショップを辞めた後はどうやって生きて行くのか。日本の両親は心配しながらも聞くに聞けないでいた。だが洋海さんは「決断はしています」ときっぱり。今後は「カメラ1本でやっていきたい」といい、そして「まずは世界の海をみてまわりたいので、来年は拠点を作らずに行きたかったところに行こうかなと思っています」と胸の内を明かす。
家族との思い出の場所・サイパンで新たな道を見つけ、今まさに旅立とうとしている息子へ、両親からの届け物は洋海さんが子どもの頃、インスタントカメラで初めて撮影したサイパンの水中写真。両親が大切に残しておいてくれた写真を、洋海さんは「撮っていた記憶はありますけど、こういう写真だったという記憶はなかったので…すごい…」と感慨深げに眺める。さらに添えられていた母の手紙には、何でも一人で抱え込む息子の性格を心配しながらも、「ありのまま気負わず、君らしくあれ!」と応援のメッセージが綴られていた。それを読んだ洋海さんは、「やっぱりしっかりと見てくれているし、一番の味方でいてくれているなと感じます」と大きくうなずく。そして「苦しくなったり、辛くなったときはこの写真を見て楽しかったときや初心を思い出すようにしたいですし、次は逆にもっといい写真をプレゼントできるようにしたいので、頑張ります」とまっすぐ前を向くのだった。