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#81511月30日(日) 10:25~放送
キルギス

 今回の配達先はキルギス。ここで会社を立ち上げた緒方美鈴さん(29)へ、熊本県で暮らす父・秀一さん(52)の想いを届ける。
 中央アジアのほぼ中心に位置するキルギスは、国土の約90%が山岳地帯。そして遊牧民族だったキルギスの人々は、古くからあらゆる生活必需品を様々な柄で装飾してきた。美鈴さんは、そんな伝統的な柄を取り入れた雑貨のブランド「オイモ」を経営。主にインターネットで日本向けに販売している。
 ある日は、完成した商品を受け取るため工房を訪ねた。刺繍職人のアイーダさん(43)は刺繍を始めて30年になるベテランで、発注したコースターを手にした美鈴さんは「本当に丁寧できれい。これができる人はキルギスでアイーダさんぐらい」とその腕を高く評価する。とはいえ、素晴らしい技術を持っているのに上手く商売にできない職人が多く、しかも手間がかかるのに儲けは少ない。そのためキルギスの伝統的な技術の多くが失われつつあるというのが現状だ。続いて、美鈴さんが向かったのは布の市場。商品のデザインや材料選びは美鈴さんがひとりで担っていて、この日は新作のトートバッグの試作品を作るため、品質に納得がいく布を探して何軒もはしごした。
 学生の頃はバスケットボールひと筋だった美鈴さん。高校生の時、ブータンからの留学生が「自分の国には体育祭がない」と言っていたことに衝撃を受け、途上国で体育を教えたいと思うようになった。そして大学卒業後の2019年、青年海外協力隊として赴任したのがキルギス。帰国後、職人の手仕事が息づく伝統雑貨を通して日本にキルギスの魅力を伝えたいと、イベントでの販売を行うようになった。一方、その頃に出会い、美鈴さんの人生を大きく変えたのがパッチワーク職人のローザさん(66)。偶然SNSでローザさんの作品を発見し、魅了された美鈴さんは「一緒に作ってほしい」と連絡。だが最初は相手にされず、話もまったく進まなかったことから、ついにはローザさんが暮らす村を訪ねたという。こうして2022年、はるばる日本からやってきた美鈴さんの熱意が通じ、一緒に商品作りを始めることに。しかし遠く日本からではローザさんに細かなニュアンスが伝わらないため、翌年、美鈴さんはキルギスへの移住を決意したのだった。以来二人三脚で歩み、現在も美鈴さんは数か月に一度は片道400キロ、約7時間かけて高地の村にあるローザさんの自宅に足を運んでいる。
 あるときは、青年海外協力隊時代にバスケを教えていた学校で、刺繍のワークショップを行った。実は美鈴さんの家族は全員バスケをしていて、特に母・優子さんは社会人になっても続けるほどバスケが好きだったという。そんな母が病に倒れたのは、美鈴さんが高校3年生のとき。治ると聞いていた母の余命を知らされたのは、息を引き取るわずか3週間ほど前だった。当時、本当のことを言えなかった父・秀一さんは今も悔いが残るというが、美鈴さんはむしろ「父が一番辛かったと思う」と思いやる。
 今回、初めてキルギスでの娘を見た秀一さんは、「びっくりしました。本当にすごく成長したなあって」と驚きながらもうれしそうな表情を浮かべる。そしてもし優子さんが生きていたら、今の美鈴さんの活動は「すごく喜んでいると思います」と語る。
 ブランドを立ち上げて4年。伝統を受け継ぐ職人の手仕事を通じて、キルギスの魅力をひとりでも多くの人に伝えたいと奮闘する娘へ、父からの届け物は母が愛用していたバスケットボールのユニフォーム。さらに父の手紙には、今は亡き母の想いが綴られていた。「11年前にママが亡くなった時、ママと話した最後の言葉を今伝えます。『私がいなくなっても美鈴が何かしたいと言ってきた時は 秀一君、応援してあげてね』。美鈴の成長や努力を見守ることが何よりのママとの約束だと感じています。どんな時も、自分を信じて、夢に向かって突き進んでいってください」。初めて知る事実に嗚咽し、涙が止まらない美鈴さん。「だから応援してくれていたのかなと腑に落ちたというか…ちゃんと2人で応援してるんだよということを伝えたかったのかなって」と両親の願いを受け止める。そして「まだまだ前に進んでいきたいし、いろんな挑戦をしていきたいので、これからも引き続き応援よろしくお願いします、っていう気持ちでいっぱいです」と笑顔で決意を新たにするのだった。