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#81411月23日(日) 10:25~放送
グアテマラ

 今回の配達先はグアテマラ。ここで日本食レストランを経営する務台聖子さん(57)へ、長野県の母・好子さん(91)、妹・恵以子さん(49)の想いを届ける。
 聖子さんが暮らしているのは、中米最大の都市である首都グアテマラシティから車で西へ3時間。さらに“世界一美しい湖”と呼ばれるアティトラン湖で乗合ボートに乗り換えて40分の場所にあるサンマルコス・ラ・ラグーナ。湖の周囲に点在する12の村のうちのひとつで、マヤの先住民たちが多く暮らす小さな村には、美しい湖を目当てに世界中から観光客が訪れている。 
 2007年にサンマルコス・ラ・ラグーナに移住した聖子さんは、同時に日本食レストラン「あじゃら」をオープン。シェフのオルガさん(35)をはじめ、5人の女性たちとともに、カレーや冷やし中華、焼きめしなど日本の家庭料理を提供している。人気メニューのひとつが天ぷら。12年間、聖子さんと一緒に働くオルガさんが得意とする一品だ。村唯一の日本食レストランは観光客だけでなく、地元の人たちからも愛されている。
 聖子さんの父は中学校の教師、母はピアノ講師。自身も両親の背中を追いかけるように地元・長野県で中学校の美術教師になった。30歳の時、教師以外の世界も見てみたいと海外協力隊に参加し、グアテマラへ。現地の人々はどんなときも温かく、そんな人柄にどんどん惹かれていった。そして「これまでの人生を投げうってでも、この国で暮らしたい」と考えていた頃、たまたま訪れたのがサンマルコス・ラ・ラグーナ。船を降りたとき、小さな男の子が花をくれたことに心を動かされ、村への移住を決めたという。そして母譲りで得意だった料理の腕を活かし、日本食レストランをオープンしたのだった。レストランで提供する数々の日本食の中で、聖子さんが最も大切にしている一品がみそ汁。かつて母は体が小さい娘たちを心配して、具だくさんで栄養満点のみそ汁を毎日作ってくれていたという。そこでオープン以来、なす、にんじん、いんげん豆など、現地で手に入る野菜をふんだんに使った母のみそ汁を作り続けている。そんな思い出が詰まった味噌汁は、遠く離れたグアテマラでもお客さんたちを温めている。
 最近では周囲から“半分地元民”という意味の「メディオローカーレス」と呼ばれるように。これは地元の人から認められた証であり、聖子さんも「とても名誉なこと」と喜ぶ。しかし、その一方で今、聖子さんは大きな問題に直面していた。91歳になる日本の母が体調を崩して入院。大事には至らなかったものの、母が心配で一時帰国を考えているのだ。閉店後、「3か月帰りたい」と聖子さんは胸に秘めてきたことをオルガさんらに初めて伝えるが、その反応は…。
 姉のグアテマラでの日々やレストランを見て、「あんなに立派にやっているとは思わなかった」と驚いた妹の恵以子さん。また、母と姉との関係については「母とはすごく気が合っていた。一緒にご飯を作ったり、散歩したり」と明かし、「すごく楽しそうだったので、母は言わないけど一緒にいたいと思います」と気持ちを代弁する。
 休日、オルガさんたちを連れて乗合ボートで向かったのは、アティトラン湖の周辺で一番の繁華街・パナハッチェル。普段は1人で買い出しをしているが、一時帰国することを考えて、みんなに買い物をレクチャーしようと連れてきたのだった。そんな姿に、当初は帰国を不安がっていたオルガさんも、「聖子さんに感謝しています。従業員みんなが元気である限り、聖子さんと一緒に仕事を続けていきます」と力強く語る。
 大好きな国で18年。周囲からも認められた一方で、いま人生の岐路に立つ娘へ、母からの届け物は手作りの特製ふりかけ。久々におふくろの味を口にした聖子さんは「おいしい!」と感激する。さらに、母が綴った娘の幸せを願う手紙を読んで涙をぬぐう聖子さんは、「なるべくお母さんと過ごせる時間を取りたいなと思っています。やっぱり世界一素晴らしいお母さんですよ」と日本での再会を待ちわびるのだった。