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#81211月9日(日) 10:25~放送
イギリス

 今回の配達先はイギリス。総合馬術選手の北島隆三さん(39)へ、滋賀県で暮らす妻・笑子さん(48)、長女・華音さん(15)、二女・一響さん(11)の想いを届ける。
 馬術の本場であるイギリスの小さな街・テットベリーで、チャーチファームという世界的な厩舎を拠点に活動している隆三さん。2024年のパリオリンピックに総合馬術団体で出場し、「初老ジャパン」の一員として、日本馬術界に92年ぶりのメダルをもたらした。一躍有名になった初老ジャパンの名称は、監督が「四捨五入したらみんなもう初老やな」と半分自虐で名付けたそう。「フェニックスジャパン」などのプランもあったというが、この名前のおかげで逆に注目が集まってよかったと振り返る。
 総合馬術では、馬を正確かつ美しく運動させる「馬場馬術」と、6キロ以上のコースに設けられた難易度の高い障害に挑む「クロスカントリー」、障害を飛び越え乗馬技術を競う「障害飛越競技」の3種目を3日間に渡り行う。そんな過酷な競技の選手である隆三さんの1日は、朝7時から始まる。まず脚が命である馬のケガや腫れをチェックすると、ランニングマシンで軽く歩かせる。その間には厩舎の掃除。オリンピック選手でもこういった馬の世話を行うといい、隆三さんは「馬あってのスポーツなので」と、掃除、餌やり、散歩と356日欠かせないパートナーの体調管理の重要性を語る。馬術を指導するのは、アンジェラ・タッカーさん(72)。男女区別のない総合馬術で輝かしい戦績を収める彼女は1988年のソウルオリンピックから日本代表をサポートし、隆三さんをリオ・東京・パリと3度のオリンピックに導いた名トレーナーだ。
 隆三さんの住まいは、厩舎の一角にある一軒家。チームメイトで同じく初老ジャパンの田中利幸さん(40)と二人暮らしをして10年になる。隆三さんが馬と出会ったのは小学5年生の時で、兄弟3人で競馬ゲームを始めたのがきっかけだった。そこから競馬のジョッキーに憧れ乗馬を始めたものの、身体が大きくなったため馬術に転向。そして高校・大学と馬術競技で頭角を現し、大学卒業後は乗馬クラブクレインに入社。会社に活動費用と馬を用意してもらい、馬術選手として活動している。総合馬術は日本ではまだまだマイナーなスポーツ。しかし一頭の馬を仕上げるためにはたくさんの人々の支えと膨大な費用が必要となる。「オリンピックに出るまでは自分のことばっかりやってきた」という隆三さんだが、昨年のメダル獲得後は気持ちに変化が生まれ、「馬術を広めなあかん」という使命感を持つようになったという。現在40歳。チームメイトの田中さんとも「若手も育てないといけない」と言いつつ、「あと4回くらいは行けるかな」とオリンピック出場にも意欲を見せる。一方で、二女が生まれてすぐにイギリスに渡ったため、娘たちの成長を見ることができない生活がもう10年続く。隆三さんは「妻のサポートなしではこの生活はありえない。一番の理解者が近くにいることが助けになってます」と感謝する。
 その言葉を「聞けてよかったです」という妻・笑子さん。現地での夫の様子については「ちゃんとやってるなと。私たちよりも馬を大事にしている感じがしますね」と笑いながらも、「好きなことが仕事にできるって、本当に素晴らしいことですし、本当に馬が好きなんだなと改めて思いました」としみじみ語る。
 次の目標は、3年後のロスオリンピック。スコットランドで行われた総合馬術の試合では、これからメインの馬となるビーマイデイジーと参戦した。結果は13位で、順調な仕上がりをみせている。
 イギリスに渡り10年、まだまだオリンピック出場を目指し奮闘する隆三さんへ、家族からの届け物は手作りの写真パネル。コラージュされた写真の中には、隆三さんが知らない娘の姿もあった。それらをじっくりと眺め「ずるいわ」とつぶやく隆三さんは、「初老やから、涙もろくなって…」と目を潤ませる。さらに添えられた手紙には、姉妹の近況と共に、妻からの「子供に挑戦する姿を見せ続けて下さい」というエールも。そんな家族からのメッセージを受け取った隆三さんは、「この10年間はいない時が長かったし、これからもっと長くなるかもしれない。でも、いつまでもみんなの誇りに思ってもらえるような父親で走り続けたいと思いますので、これからもよろしくお願いします」と改めて想いを伝えるのだった。