





今回の配達先はドイツ。ここでクレープ店を営む井上三友紀さんへ、京都府で暮らす父・純一さん(77)、母・幸子さん(77)、妹・三紀恵さんの想いを届ける。
ドイツ第2の都市・ハンブルク。その街の中心部にある三友紀さんのクレープ店「MiMi’s Crepes from Japan(ミミズクレープス フロム ジャパン)」は、オープンして10年になる人気店だ。普段は三友紀さん1人で切り盛りしているが、休日は二女で高校生の未来さん(18)が手伝ってくれている。
三友紀さんが作るのは、生クリームや季節のフルーツがふんだんにトッピングされた日本式のスイーツクレープ。パフェの様にボリュームがありながら、片手で持てて食べ歩きもできる日本独自のクレープはハンブルクでも注目を集めているが、開業当時は認知度も低く、5年ほどは見向きもされなかったという。しかし粘り強く続けた結果、今や客足の絶えない人気店に成長したのだった。
海外での生活に憧れていた三友紀さんは20代の頃、オーストラリアやロサンゼルスで留学を経験。そして20代半ばで結婚し、長女の世佳さんと二女の未来さんを授かった。その後離婚し、シングルマザーとして2人を育てていくことに。海外で暮らせたらとの思いもあって、4歳と5歳だった娘を連れてドイツへ渡った。1年後にはドイツ人男性と再婚するも、別々の道へ。再びシングルマザーとして娘たちを養い、生きる手段として選んだのがクレープだった。しかし、オープン準備をしていた矢先、何でも相談する仲だった妹の三紀恵さんにステージ4のがんが発覚する。「私が守らないと」と、三友紀さんは完全に日本に戻ると決意したが、実は当時、三紀恵さんには帰国を拒否されたという。結局、3か月間闘病する妹に寄り添い看病。回復するのを見届けてからドイツへ戻り、クレープ店を開業したのだった。
クレープ店は10周年を迎え、記念イベントではピンクの大福にイチゴと生クリームをトッピングしたおめでたい紅白のクレープを50個限定で販売することになった。そんな中、大福を作っていた未来さんが材量の分量を間違えてしまう。だが、三友紀さんは失敗を前向きに捉え、急きょ数を80個に変更することでピンチを乗り越えた。こうして何でもポジティブに考えるのは、どんなときでもポジティブだった両親の影響だという。離婚するときもドイツへ渡るときも、常にサポートしてくれた両親。しかし最近になって、父ががんを患い入院することになった。「このままドイツに残るか、日本に帰るか…考えなければいけない時期だと思っています」。三友紀さんは今、人生の岐路に立っていた。
ハンブルクの人たちに愛されるクレープ店や娘たちが働く姿を見て、父・純一さんと母・幸子さんは安心した様子。また、妹の三紀恵さんは自身が病気になった当時のやりとりを振り返って、完全に帰国すると言った姉には「すごくうれしかったんですが、大丈夫だと。逆に私が元気になってドイツに行くと宣言しました」と明かす。そして今また帰国も考えているという娘へ、純一さんは判断は本人に任せたいと話す。
幼い2人の娘を育てながら、生きる手段として選んだクレープの道。店を立ち上げ10周年の節目を迎えた三友紀さんへ、日本の家族からの届け物は三友紀さんが愛用していたお気に入りの浴衣。さらに、父からのメッセージは手紙ではなく巻き物にしたためられていた。三友紀さんはそんな父らしい届け物に感激しながらも、「1年に何度も帰れるわけではないので、いまだにどうしていいかわからない」と涙がこみ上げる。
こうして迎えた10周年記念イベントの当日。三友紀さんと未来さんらは届け物の浴衣を着て店に立った。店は終始賑わい、80個に増やしたイチゴ大福クレープも完売。節目の日を華々しく締めくくることができた三友紀さんは「自分で自分を褒めたいなと思いました。よくやってきたなあ」と感慨にふけり、そして「特別な日に特別な浴衣が着れてありがたいし、毎月通ってくれるお客さんやたくさんの友達も来てくれて、感無量です」と喜びに満ちあふれるのだった。