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#8059月14日(日) 10:25~放送
パラオ

 今回の配達先はパラオ。ここでツアーガイドをしている平野雅人さん(43)へ、兵庫県で暮らす父・清典さん(74)の想いを届ける。
 太平洋のミクロネシアに位置し、500以上の島々で構成されるパラオ共和国。その美しい海は、世界でも有数のダイビングスポットとして知られている。また、第一次大戦後に日本の委任統治領となったため、今も当時日本が作った建築物が数多く残されており、「ヤサイ」「ゾウリ」などパラオ語として定着した日本の言葉も。10年前、雅人さんはそんなパラオに渡り、ツアー会社「ロックアイランドツアーカンパニー」で海外からの観光客をガイドしている。パラオの一番の見どころが、無人島が400以上も浮かぶ世界遺産のロックアイランド。さらに、神秘的な青白い海・ミルキーウェイの海底にはミネラルが豊富に含まれた石灰岩の白い泥が堆積し、この泥でパックを楽しむのがパラオ観光の定番だという。
 この日、雅人さんが日本人客を案内していたのは、ペリリュー島。太平洋戦争で最も激しい戦闘が行われた場所の1つで、実はこの島のガイドこそ雅人さんが一番力を入れている仕事だ。戦争では約1万人の日本兵が犠牲になり、終戦から80年となる今でも島にはその傷跡がそのまま残されている。ツアーでは戦没者の遺族を案内することもあり、多い時にはひと月に15回も訪れることも。雅人さんはこの島で起こった戦争の悲惨さを伝え続けている。
 父が警察官だった影響で、幼い頃から警察官を目指していた雅人さん。だが大学卒業後、警察官の採用試験に受からず、それならば「人の役に立ちたい」と自衛隊に入隊した。しかし夢を諦めきれず、2年後に再び受験して、晴れて警察官に。こうして尊敬する父と同じ仕事に就いたものの、ほかの世界でもっと自分を活かせる仕事はないかと、数年で辞職。そして30歳を過ぎた頃、導かれるようにパラオのツアーガイドの仕事に巡り合ったのだった。ツアー会社の募集項目の1つに「ペリリュー島の戦跡の案内」というのがあり、これが就職の決め手だったという。
 自衛隊時代に戦争について学んだ雅人さんがその知識を活かせるペリリュー島の専門ツアーガイドになり、はや10年。いつしか島の歴史を伝えることが自分の使命だと感じるようになり、今では島のために生きているという。その思いは年々強くなり、島での壮絶な戦いを描いた戦争漫画「ペリリュー-楽園のゲルニカ-」では取材に協力し、実際に本人として漫画にも登場。またツアーに参加したお客さんの満足度が高く、JTBから表彰されるまでになった。
 あるとき、ペリリュー島でひとり雅人さんが向かったのは、共同墓地の一角。遺族が建てた戦没者慰霊碑があり、時間を見つけては訪れているという。「仕事というよりも生きがい、やりがいなんですよね。伝えていかないといけないというところで、今に至ってます。仕事は一生続けますね」と、雅人さんはきっぱりと言う。
 父・清典さんは警察を退職した後、74歳の今も介護の現場でケアマネージャーとして働いている。今回、息子の言葉を聞いて「そういう話はしていないので、心構えにはびっくりしました」と驚きながらも、「立派な仕事をしているんだなあと思いましたね」と感心する。また、かつて雅人さんが警察官を辞めるときは寂しい思いもしたというが、「これと決めたことは絶対に曲げない。子どもの頃から正義感が強かったことは確かですね」と息子の持ち前の性格を明かす。
 自衛隊に警察官と歩みをすすめ、辿り着いたペリリュー島のガイド。使命感に突き動かされ、これからの人生をこの島に捧げる覚悟の息子へ、父からの届け物はスニーカー。父が介護の現場で毎日履いているお気に入りの一足と同じものだ。そして「体調と相談しながら天職を頑張ってください」という父の手紙を読んだ雅人さん。「まず感謝しかないですし、安定した仕事を2回も捨てて不安定な道へ行って、海外に行って…それを理解してくれて今に至ってると思うので、これからもっと自信を持って天職と言えるように、この仕事を全うして一生パラオに居続けたいと思います」と改めて父に想いを伝えるのだった。