





今回の配達先はアメリカ。ここでカウガールとして奮闘する髙島あゆみさん(26)へ、愛知県で暮らす母・弥佳さん(48)の想いを届ける。
カナダとの国境に近い田舎町・ブリュースターにある広大な放牧地で馬に乗り、牛の群れを追うあゆみさん。50頭から100頭ほどの群れで行動する牛たちが草を食べ尽くす前に次の放牧地へ移動させるのがカウガールの仕事のひとつで、一番時間を費やす作業でもある。ボスであるキャス・ゲバ―スさんは20万エーカー、琵琶湖の約1.2倍という広大な土地を所有し、8千頭もの牛を飼育。最近はバギーで牛を追う所も多いが、キャスさんの放牧地には崖や森など馬でしか行けない場所も多いため、カウドッグと呼ばれる犬と、馬を使うカウボーイ15人で管理している。実はあゆみさんは日本での乗馬経験はほぼなく、この仕事を始めてから馬に乗り始めたという。
夏場は40度近く、冬はマイナス15度にもなる放牧地。仕事中は基本的に馬に乗りっぱなしで、食事は馬の上で簡単に、トイレも大自然の中で済ませる。牛の移動のほかにも、赤ちゃん牛の世話や柵の修繕など、牛を育てる事全般があゆみさんたちの仕事になる。この日は牛を4時間かけて移動させ、作業が終了した。拠点に戻るときは、馬を巨大なホーストレーラーに乗せて移動。もちろん運転もあゆみさんの仕事だ。過酷な仕事では危険な目にあうこともあり、馬が暴れて空中に飛ばされ蹴り上げられたことも。当時はあごの骨が3つに割れ、緊急手術したものの2カ月間口を開くことすらできず、流動食しか食べられなかった。だが、それでも日本の母へはすぐに連絡しなかったという。福祉関係の仕事をする母は、あゆみさんが幼い頃から働きどおしで、いつの頃からかだんだんと距離を置くようになっていたのだった。
幼い頃から生き物が大好きだったあゆみさんは、北海道の大学に進学し、4年間エゾシカを研究した。しかし「もっといろいろな世界が見たい」と将来を模索。アメリカで畜産業の研修を受けられると知り、2022年に渡米した。ところが研修生という立場ではやれることが限られ、中途半端にしかできなかったという思いだけが残ることに。「自分が納得できるまでこの仕事をやってみたい」。1年半の研修を終えて帰国したあゆみさんは、半年後再びこの地に戻り、カウガールとして就職。母にはたった1枚の書き置きを残して日本を飛び出したのだった。
あるときは「チーム・ローピング」の練習に取り組んでいたあゆみさん。チーム・ローピングとは、2人のカウボーイが馬に乗り、牛にロープをかけるまでの時間を競う競技で、カウボーイに必要な技術でもある。仲間同士のつながりを深めるためにも欠かせないというこの競技は、キャスさんの誘いで始めた。かつて馬にあごを砕かれた時には、自宅で面倒を見てくれたキャスさん夫妻。2人はあゆみさんのことを本当の娘のような存在だと話す。一方、あゆみさんも今の居心地の良さを認めるが、将来については「主軸をこの職に置いて、何かを広げられるならそれでもいいし、もし限界を感じるなら国ごと変えてもいいかなと正直思う。20代では日本に戻る気はないですね」ときっぱり言い切る。
娘からはほぼ連絡がなく「どんな仕事なのか、想像がつかない」と言っていた母・弥佳さん。あゆみさんが働く姿や今の生活を見て「すべてが新鮮で、びっくりしかない」と驚く。また、母として娘との距離は感じながらも、「キャスさんが自分の子どものように思ってくださるとのことなので、それは安心しました。私じゃなくても彼女を見守ってくれる人がいるんだなっていうことはうれしく思います」と喜ぶ。
カウガールになってもうすぐ1年。生き物にふれて育ち、今では大自然の中で牛や馬とともに生きる娘へ、母からの届け物はあゆみさんが幼い頃、肌身離さず持ち歩いていた生き物図鑑。添えられた手紙には、娘へのエールと、「たまには美しい風景を撮って送ってほしい」というお願いが綴られていた。あゆみさんは「幼少期から仕事を頑張っている母の姿を見て、働く女性はかっこいいというのは母から学んだこと。だから私がアメリカにいるのも母の要因はあるかもしれないです。今後も元気で頑張ってほしいし、たまには風景の写真も送ろうと思います」と語り、母の想いを受け止めるのだった。