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#8038月24日(日) 10:25~放送
フィジー

 今回の配達先はフィジー。ラグビー留学中の田形龍ノ介さん(18)へ、大阪府で暮らす母・さとみさん(46)の想いを届ける。
 南太平洋に浮かぶ約330の島々からなるフィジーで、人々を熱く虜にするスポーツがラグビー。街にはラグビーを楽しむ人たちや有名選手の看板があふれ、紙幣の図柄にもなるほどラグビーは国民に愛されている。
 龍ノ介さんは小学1年生からラグビーを始めると、メキメキと腕を上げ、高校はラグビー強豪校に入学。2年生の時にはレギュラーを勝ち取ったが、高校を中退しフィジーへ渡った。現在はフィジー第二の都市・ラウトカにある国立フリーバード高校に留学して1年半になる。学校はこの10年間で4回の全国制覇を誇るラグビー最強豪校。チームに日本人は龍ノ介さん1人で、体格のいいフィジー人に交じって練習に励んでいる。フィジーのラグビーはフィジカルを全面に押し出した攻撃的なスタイルが特徴。その中で、身長170センチ、体重70キロの龍ノ介さんが担うポジションはスタンドオフ。自ら走り、蹴り、パスを出す、攻撃の起点となる司令塔だ。この日の練習終わりには3日後に控えた全国大会のスタメンが発表され、龍ノ介さんも名を連ねた。
 フィジーにラグビー留学を決意したのは、高校時代に経験した国際大会がきっかけだった。同じ高校生でありながら信じられない動きをする海外選手を目の当たりにした龍ノ介さんは、「コイツらを使ったら絶対おもしろいラグビーができるなって。将棋でいうと日本は『歩』なのが、フィジーは全員『飛車』。自分は王将(司令塔)なので、飛車ばっかり使ったら絶対に楽しいと思って。その代わり“暴れる飛車”なので、角みたいな斜めの動きもするんです」と留学の理由とフィジーラグビーの醍醐味を語る。
 ホームステイしている龍ノ介さんは、ホストファミリーがまだ眠る朝6時半から朝ごはんとお弁当作りを始める。「口に入ればいい」と、どちらもメニューは焼いたたまごと現地の白ご飯だけ。実は自炊する夕食も、ゆがいた鶏むね肉と目玉焼きに醤油をかけたものを毎日食べている。昼食はラグビー部のチームメイトと一緒にテーブルを囲み、それぞれのお弁当をみんなで分け合う。まだ発展途中のフィジーでは、お弁当をたくさん持って来られる日もあれば、持って来られない日も。みんなで助け合って生きていくことがこの国の文化なのだという。
 この日、ラグビー部で全国大会に向けた練習を終えると、向かったのは街のトレーニングジム。フィジーに来て、フィジカルがないと通用しないことを痛感した龍ノ介さんは、日本ではやっていなかったウェイトトレーニングを週5回始めた。そんな毎日の積み重ねで鍛え上げたフィジカルが、コーチやチームメイトの信頼に変わっていったのだった。
 こうして全国大会当日を迎えたが、思わぬ事態が。なんと相手チームの都合で試合が突如中止になってしまったのだ。試合は1週間後に延期となってしまったが、龍ノ介さんが試合の日になると思い出すのが、いつも応援に駆けつけてくれた母のこと。「おかんが来た時には点を取ってやろうとか、エグいプレーをしてやろうって思ってやってました」。そして将来は、自衛隊ラグビーの日本代表に入りたいと考えているといい、母へ「ずっと12年間応援してきてくれたので、次は世界で戦ってる姿を見せてあげたい」と秘めた想いを明かす。
 そんな目標を聞いて、母・さとみさんは「びっくりしました。ストレートに、うれしいがいっぱいです」と喜ぶ。また言葉や食生活など心配は尽きなかったが、現地での姿に「ポジティブな子やなと再確認できました」と笑う。
 1週間後に行われた試合では、龍ノ介さんはスタメンとして出場を果たし、ゲームを完全にコントロールする活躍でチームを勝利に導いた。わずか17歳でフィジーに渡り、ラグビー一筋に真っ直ぐに生きる息子へ、母からの届け物は大量のパックごはんと食料品。久々に日本のご飯を食べた龍ノ介さんは「バッカうまい!」と大感激する。そして母へ、「おかげでラグビーも頑張れるので、これを力にしてラグビーをもっと頑張って、活躍できるように頑張ります。また、試合見に来てください」と感謝を伝えるのだった。