





今回の配達先は、南太平洋に浮かぶフランス領ポリネシア最大の島・タヒチ。 “ぐっさん”こと山口智充が自ら届け物を携え、タヒチで奮闘する人たちに想いを届けるスペシャル版の3週目は、保全団体「HAURURU(ハウルル)」のメンバー・小山亜希さん(45)へ日本の両親の想いを届ける。
首都・パペーテの街中から車で30分。ぐっさんが赴いた場所では、大勢の人とともに亜希さんがステージに立ち、タヒチが乾季に入るためのセレモニーを行っていた。彼ら「ハウルル」は、フランス文化の影響で失われつつあるタヒチ本来の伝統や文化を保全するボランティア団体。亜希さんは6年前から活動に参加し、地元民や観光客に向けこうしたセレモニーやイベントを定期的に行っている。
かつては大阪の病院で管理栄養士として働いていた亜希さん。タヒチには縁もゆかりもなかったが、同僚の紹介で偶然タヒチアンダンスに出会うと、あっという間にその世界に引き込まれていったという。そして2011年に初めて本場を訪れてからは、ますますタヒチの魅力に取りつかれ、16年やっていた管理栄養士を辞めてタヒチアンダンスの講師に。現地へも毎年足を運ぶようになり、遂には39歳のときに移住を決断したのだった。タヒチに来てからはパートナーのカメさんと暮らし、より深くタヒチの文化に触れるためハウルルでボランティア活動をしている。一方、そんな道を選択した娘に、父・峯平さん(77)、母・涼子さん(78)は驚き、タヒチ移住も強く反対されたという。
ぐっさんは、亜希さんとカメさんの案内で聖地・ファレハペを訪ねることに。ファレハペがあるパペノオ渓谷は、ハウルルが保全活動を行っている自然保護区。熱帯植物に覆われた1500メートル級の山々からなり、面積は実にタヒチ島の約10%を占めている。舗装されていない過酷な山道の途中にある石の祭壇・マラエではこの時期、雨季から乾季へ移るための儀式が行われる。こうした伝統行事が途絶えないよう続けることもハウルルの大切な活動の1つなのだという。
ようやく到着したファレハペには、宿泊ができる古代住居やタヒチの伝統文化が体験できる施設が。ぐっさんはここで、アヒマアと呼ばれるお祝い事には欠かせない料理を体験する。さらに、伝統楽器の鼻笛・ビボに挑戦。最初は苦戦するも、カメさんから吹き方のコツを教わったぐっさんは、見事に美しい音色を奏でる。
「ただ単にタヒチが好きやから住みたいという感じではなく、何か自分がここに来た意味があると思って、今はここにいる。日本の方が便利で快適だけど、それでもやっぱりこっちに居たいって思ってしまうし、ここからは離れられないんです」と、タヒチへの想いを明かす亜希さん。そんな彼女に、ぐっさんは両親との関係を尋ねる。元々母とは何でも相談する仲だったが、移住に関しては何度説明しても聞く耳を持ってもらえず、相容れないままタヒチへ出発する日を迎えたのだという。当時を涙ながらに振り返る亜希さんだが、ただ「お母さん自体も、どう気持ちの整理をつけたらいいのかわからなかったんだと思う」と母の思いを推し量る。
いつの間にかタヒチの魅力に引き付けられ、その理由を日々模索しながらタヒチの伝統と文化に真正面から向き合い続ける娘へ、両親からの届け物は亜希さんが高校生の時に作った自分の歴史。中には産まれてから高校3年生までの自身の記録が残っていた。さらに添えられた手紙には、「これからの小山亜希 自分史も作成してもらいたい。自由に、自分らしく楽しんで欲しいと思ってます」と、両親の想いが綴られていた。ぐっさんは、「この歴史だけ見ると過去のことですけど、タヒチでの歴史は始まったばかり。どんどん埋めていくのを、お父さんお母さんも見せてほしいだろうし…」と語りかける。亜希さんも、そんなぐっさんの言葉にうなずくと「これからも心配させないように、私がタヒチで生きていく意味をしっかり見つけて、両親にも見てもらって安心してほしいなと思います」と笑顔で前を向くのだった。