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#7997月27日(日) 10:25~放送
セブ島

 今回の配達先はフィリピンのセブ島。ここで美容師をしている賀川奨也さん(32)へ、大阪府で暮らす祖母・智子さん(84)、叔母・律子さん(60)の想いを届ける。
 アジア屈指のリゾート地・セブ島。奨也さんはセブ市の中心部で美容室「Rinoa (リノア)japanese hairsalon」を経営し、トップスタイリストを務めている。「リノア」とはハワイ語で“輝く未来”という意味。スタッフは全員、日本で経験を積んできたスタイリストで、世界的に評価されている日本人美容師によるクオリティの高いサービスが店の売りだ。妻の礼菜さん(30)は、同じ店で働くカラーリスト。元々大阪の大手有名美容院にいた2人は店舗初の海外進出を任され、2020年にセブ島へ渡った。しかし、2021年に新型コロナの流行で会社は撤退。2人はセブ島に残って結婚し、リノアをオープンした。フィリピンには理美容師の資格がなく、誰でも簡単に商売ができて、値段も激安。一方、奨也さんはそんなローカルの30倍以上の価格を設定し、富裕層をターゲットにしている。日本で習得した技術を持つ自らがトップに立ち価格を引き上げることで、地位が低いフィリピンの美容師の価値を上げたいのだという。お客さんは飲食店をいくつも経営する実業家や、都市部のマニラからわざわざ飛行機でやってくる人も。リノアを立ち上げて4年、いまや毎月新規のお客さんが300人を超える人気店に成長した。
 奨也さんが美容師になったのは、45歳という若さで亡くなった美容師の母・こずえさんと、わずか4歳で急死した妹・璃乃ちゃんがきっかけだった。実は店名の「リノア」は、美容師になりたいという夢を持っていた璃乃ちゃんの名前から付けたものだという。高校卒業後は「妹の夢は俺が叶える」と、大学に通いながら通信制の美容学校に通い、美容師を目指した。そのさなか、今度は母が突然帰らぬ人となった。「母から学んだことは『友達は大事にしなさい』ということ。母親が亡くなったとき、友達がすごく助けてくれて…母親が言っていたことは間違いではなかったと思います」と、奨也さんは母の教えを振り返る。
 今、奨也さんは、旅行会社と新しいプロジェクトを立ち上げようとしている。それが、日本の美容師がセブ島の孤児院で髪を切る体験ツアー。そこには、美容師だった母への思いがあった。奨也さんが小学5年生の時に両親が離婚。母は夜も遅く、多忙な美容師の仕事では家庭を支えることが難しくなり、やむなく事務職に転職したのだった。「母のように夢を失う人は増やしたくない」と奨也さん。実は、日本の理美容師の離職率は3年以内で56%にものぼる。若い美容師が業界から去ってしまうのを防ぐためにも、技術に誇りを持ち、人をきれいにして感謝してもらえる仕事だということを体験してもらえたら、行き詰まったときも原点に戻りやすいのではないかと考え、このプログラムを企画したのだった。そのリハーサルとして、ある日はリノアのスタイリスト達がセブ島の孤児院を訪ね、子ども達の髪をカットすることに。美容師という職業の存在自体をほとんど知らないフィリピンの子ども達にも、髪を切って喜んでもらうことで、なりたい職業の選択肢に美容師が入ればとの思いもあった。このプロジェクトが、フィリピンと日本の美容業界の底上げになればと願っている。
 奨也さんの現地での様子を見て、祖母・智子さんは「びっくりしました。あれだけ頑張っている。日本から来た店の子達もみんな『いい』と言っているので、それがまたうれしいです」と仲間とともに奮闘する姿を喜ぶ。
 大きな悲しみを乗り越え、フィリピンで美容師という職業を光り輝かせる奨也さんへ、祖母からの届け物は長年書き溜めてきた直筆のレシピノート。母が美容師として働いていた時、夕食は必ず祖母の家で食べていたという奨也さんが大好きな和食の作り方がたくさん詰め込まれていた。奨也さんは「セブで再現できるものがあるか分からないですけど…」と笑いつつ感激する。そして「一人で成功しても、僕的には何も意味がない。仲間を大切にしなさい、友達を大切にしなさいと言っていた母の言葉がずっと残っているので、それが達成できたときに僕の夢が叶うのかなと思ってます」と語り、これからも歩みを止めず前へ進むと誓うのだった。