





今回の配達先はアメリカ・ニューヨーク。ここでネイルサロンを経営するネイリストの石原静香さん(40)へ、大阪府で暮らす母・伸子さん(76)の想いを届ける。
静香さんが2年前に開いたネイルサロン「Madison25 h&n」があるのは、ニューヨークでもハイブランドが立ち並ぶエリア。店で働くネイリストは全員日本人で、静香さん自身は経営者として多忙なため、常連客だけを担当している。
日本と違い、自分の要望をしっかり主張するお客さんが多いニューヨーク。何度も確認しながら仕上げても、最後に「やっぱり好きじゃない」と言われたこともあったというが、それでも「それを汲み取れなかった自分の実力不足なので、やり直します。私の店は“来たときよりもハッピーでお客さんが帰る”っていうのがモットーなので」と静香さん。この日やってきた10年来の顧客からも、10本の爪それぞれに細かなデザインの要望が。静香さんはベースとなる爪を整えたうえでデザインを爪1本1本に落とし込み、美しくかつ手早く仕上げた。これを2時間半ほどで終えられるのはその確かな技術があってこそだ。また別の顧客に施したのは、爪に本物のダイヤモンドを埋め込む「ダイヤモンドネイル」。アメリカ唯一ともいわれるこの施術には高度なテクニックが必要とされるが、「日本のネイルの技術は世界一だったけど、今は他の国に追い越されている」と危機感を持った静香さんが、他店との差別化を図るべく取り入れたという。
静香さんの原点が、若者に人気の街・ブルックリンに構える1号店「miGak」。同じ空間には夫の大地さん(53)がオーナーを務める美容院もある。今ではここも人気店になったが、1人で始めた8年前、予約表はほぼ白紙だった。そして今も当時の予約表を見直しては、「予約が入るのは当たり前じゃない」「一つ一つの予約を大切に接客しなさい」とスタッフに伝えている。
そんな静香さんの生き方には、仕事をいくつも掛け持ちしながら育ててくれた、シングルマザーの母の影響が強いという。ずっと「一人で生きて行く力をつけなさい」と言われていた静香さんは高校卒業後、いち早く自立するため一般企業に就職した。そんな頃、運命的に出会ったのがネイル。ネイリストになった友人からネイルを施してもらったとき、あまりのかわいさに電流が走ったという。しかも、ネイルが付いた1カ月間ほどは指先を見るたびにハッピーでいられる。こんな仕事があるのか、と衝撃を受けた静香さんは1カ月後ネイルの学校に入学し、1年後にはネイリストの一級資格を取得。会社を辞め、ネイルサロンで働き始めた。その後、当時の彼氏と別れたことをきっかけに地元を離れたくなり、2012年に思いつきでやってきたのがニューヨーク。わずかな貯金だけを頼りに仕事を探してネイルサロンを回った。英語が話せないからと門前払いされる中、ようやく働ける店を見つけたものの、歩合制だったため収入はほぼゼロ。しかし「絶対ナンバーワンになってやる」という強い思いを支えに、あえてこだわりが強い面倒な客を担当。おかげで英語力も技術力も向上し、ついにはナンバーワンに。そして2017年に独立を果たし、ブルックリンでサロンをオープンしたのだった。
多忙な日々を送る静香さんが大切にしているのが、娘の二コリちゃん(3)と過ごす時間。自身も母からたくさん愛情をもらって育ったと自負する。だが、ひとつだけ今も後悔しているのが、高校生のとき母に「お母さんみたいになりたくない」と言ってしまったこと。当時は母が家族のために自分を犠牲にするのがつまらない人生に見えていたという。この機会にと静香さんは、母に「今はお母さんの気持ちがすごくわかります」と謝罪する。
娘の言葉を聞いた母・伸子さん。当時は、「なるべく子ども達には『母子家庭だから』と暗くならないようにしていた」と明かすが、「こっちは見せないように努力してたけど、子どもの方が親よりも上だったかもしれない」と笑って娘の思いを受け止める。
ニューヨークに渡り13年。ネイリストとして経営者として全力で走り続ける娘へ、母からの届け物は大好物ののり弁。母がどんなに忙しくても、毎日欠かさず手作りしてくれた思い出の味だ。感激する静香さんは涙が止まらないまま、懐かしいお弁当をひと口ひと口噛み締めて味わう。そして「あんなに愛情を注いで子育てできる人はいない。本当に尊敬しています。このお弁当を食べて、また明日から仕事を頑張ります」と母に感謝を伝えるのだった。