





今回の配達先はアメリカ・ニューヨーク。書道アーティストの原愛梨さん(31)へ、福岡県で暮らす父・雅文さん(64)、母・香奈子さん(58)の想いを届ける。
ニューヨークへ行くにあたり、愛梨さんから両親に相談はなかったそうで、「どこに住んでいるのか、どうやって食べてるのかもわからない」と母・香奈子さん。父・雅文さんも「メールをしても既読にならない」と明かし、娘が現地で何をしているのか全く知らないという。
愛梨さんが手掛ける「書道アート」は、一見すると書道の筆で描いた絵だが、実は絵の中に文字とメッセージが隠されている。「書道をアートに進化させたものを作りたい」と始めたもので、例えば「愛」という漢字に添えられたバラの絵は、実は「ありがとう」という言葉で描かれていたり、迫力ある虎の絵には「夢なきものに成功なし」などの文字が潜んでいる。2017年から書道家として活動を始めると、そんなオリジナリティあふれる書道アートが評判を呼び、個展を開くなど活躍の場を広げていた。だが、30歳になった2024年、アメリカンドリームを夢見てニューヨークへ。現在は一般家庭にホームステイし、アーティストビザ取得に向けて実績を重ねている。
ある日はパフォーマンスを行うため、多くの観光客でにぎわうタイムズスクエアにやってきた。「ぶちかましたい」と意気込む愛梨さんは、縦2メートル・横3メートルもの和紙を広げ、大きな筆で何かを書き始めた。完成したのは、ブレイクダンスをする自由の女神の絵。「一人一人がヒーローなんだ」という意味を込めた作品には、「放つ」という漢字と、「HERO」という英語が散りばめられていた。
書道を始めたのは2歳の時で、姉の真似をして書道教室に通うように。すると生来の負けず嫌いと、才能を見抜いた母の厳しい指導でみるみる上達し、小学3年の頃には文部科学大臣賞を受賞するなど次々と1位を総なめにした。こうして母と二人三脚でトップを走り続けたが、高校最後の大会で思わぬ出来事が。初めて「かな文字」に挑戦し、ひらがなを猛練習したものの、本番でこれまでにない緊張に襲われ無残な結果に終わってしまったのだ。人生初の挫折を味わい、母にも初めて「書道をやめたい」と伝えた愛梨さん。しかし「あなたには結果じゃなくて経験がついているから」と言われ、立ち直ることができたという。
またある日取り掛かっていたのは、プロ野球・福岡ソフトバンクホークスの牧原大成選手から依頼された作品。元々ホークスファンだった愛梨さんは、日本にいる頃、作品を世に出したいと選手たちの書道アートをSNSにあげ続けた。その努力が今回の依頼につながり、さらに今年からはニューヨーク・メッツの千賀滉大投手が登場する時の映像に愛梨さんの文字が使われている。ニューヨークへ来て1年足らず、一歩ずつ着実に前へ進んでいるが、「ここまではお母さんに引っ張ってもらった。ここから先、自分がしっかりと認められたような功績を残したときに両親に連絡したいです」と愛梨さんは内に秘めた覚悟を明かす。
そんな愛理さんに新たなチャンスが。マンハッタンの日本料理店の外壁に書道アートを書かせてもらえることになったのだ。モチーフに選んだのは、日本の神話に登場する“導きの神”八咫烏(やたがらす)と、高校時代に挫折した「かな文字」。当時、ひたすら練習していた「の」の字を自分の新しいスタイルとして取り入れてみるという。壁の高さは約4メートル。下書きもなく、書道の筆とペンキでいくつもの「の」を書いていくが、古い建物の壁はザラザラで思うように筆が進まない。それでも7時間かけて壁画が完成。見事、躍動感あふれる八咫烏と、店のテーマである「和魂洋才」の文字、そして人生で一度だけ書道をやめることを考えたあのかな文字が、迫力ある書道アートに生まれ変わった。
母と二人三脚で歩んだ書の道。今はニューヨークでひとり歩み始めた娘へ、母からの届け物は愛梨さんが高校3年生の時、かな文字大会の前に猛練習した書道用紙。そこには、当時の自分が何度も書いた「の」の字も。実は、今回の壁画はいつも以上に悩んだという愛梨さん。そのときにふと「の」を使うことを思いついたといい、そのインスピレーションを象徴するような届け物に「なんで!? どこまで通じてるの?」と驚く。そして目を潤ませ、「やっぱり親なんだなって思いました。ニューヨークまで私のアートの原点になったものを届けてくれて…私がずっと思い悩んでたことを、空を通して教えてくれたのかなって思いました」と感激するのだった。