





今回の配達先は、カンボジア。ここでマンゴー事業を始めた笠原拓絢(たくや)さん(29)へ、埼玉県で暮らす母・恭子さん(54)、東京都で暮らす姉・南穂さん(31)の想いを届ける。
高い経済成長を続け、いまや近代都市に変貌した首都プノンペン。拓絢さんはそんな活気あふれる街で、昨年マンゴー事業をスタートさせた。大学卒業後は日本で就職したが、幼い頃からの憧れだった海外生活をおくるため、2022年に退職しカンボジアに移住。プノンペンでは旅行代理店などで働いた。そして2024年8月に会社を辞め、自身のマンゴー事業を始動。マンゴーの加工場を開設したのは今年からで、量産に向けた材料の加工が始まったばかりだ。
拓絢さんの人生を大きく変えたのが、移住後に食べて衝撃を受けた現地のマンゴーのおいしさと、カンボジアの状況。当時はコロナ禍で、マンゴーの輸出もできず廃業する農家がたくさんあったという。おいしいマンゴーなら日本人も喜んで買うし、カンボジアにはマンゴーを作る環境が整っている。カンボジアのマンゴーを日本に持っていけないか…と拓絢さんは考えるが、マンゴーそのものを日本に輸出するには検疫などのハードルが高いため、加工品を作ることに。そして仕事のかたわらひとりで試作品を作り、開業資金を貯めた。知識も資金も全くゼロからのスタート。とにかくマンゴー事業者のもとへ通い詰め、商品を開発していったという。現在は、マンゴーを使ったピューレなどが完成間近というものの、まだ開発中なので収入はゼロ。貯金を切り崩して事業に投資し、生活は自炊に切り替えた。「本当に早く売って利益を出さないと厳しい。削るところを削ればあと半年は生きていけるのかなと思ってますが…でも半年で辞められるかといえば、僕は辞めない選択をとる。僕はカンボジアから世界に誇るモノを作るという思いでやっているので、本当にカタチとして実行していきたいなと思っています」と拓絢さんは固い決意と夢を語る。
拓絢さんがもうひとつ開発を進めている商品が、プノンペン土産のマンゴータルト。そこに幻のマンゴーと呼ばれる「ガイルチャン」を使えないかと、ある日は世界遺産の街・シェムリアップのマンゴー農園を訪ねた。数日後、ガイルチャンマンゴーをジャムに加工して持って行ったのは、カンボジアで評判の洋菓子店「シェ・シゲ」。店主の橋詰茂さん(37)とは、これまでもマンゴーを使った名物の土産を開発しようと様々な試作品を作ってきた。マンゴータルトの完成まであと一息だ。
金銭的に厳しい状況の中でも笑顔で前に進むことをやめない拓絢さん。その原点となったのは、日本の家族と過ごした日々だという。小さいときに聞いた、母が学生の頃にヨーロッパを横断したという話の影響で海外に憧れ、大学時代はお金を貯めて各地を転々と旅した。しかしこの時、母は離婚しており家計はかなり厳しい状況。そんな中でも、母は子どもたちのやりたいことを尊重し支えてくれたのだった。「お金はないけど、いろいろやりくりして頑張っていこうっていう。そこで絆が生まれたというのがあるので、早く僕も恩返しできるようにしたい」と拓絢さんは言う。
カンボジアで奮闘する拓絢さんの姿を見て、終始驚きを隠せない母・恭子さんと姉・南穂さん。実は、海外へ行くきっかけが母の体験談だったと知り、恭子さんは「無意識に話していただけなんですが、そんな覚えてるなんてびっくりですよね」とさらに驚く。
貯金が尽きるまであと半年…正念場を迎えた拓絢さんへ、母からの届け物は大量の食料品。厳しい状況の中で踏ん張る息子へ、「とりあえず食べるものだけは」との思いだった。母からの手紙には、「いつも楽しませてくれてありがとう。自分の信じる道をこれからも進んでください」というメッセージが。拓絢さんは「この国のおいしいものを届けたい、カンボジアのマンゴーはおいしいんだって日本に伝えたいっていう思いを母と姉に伝えたら、『おもしろいね』って言ってくれたんです。だから今できる恩返しとしては、自分がこれだと思うものを作って、家族には『おもしろいね』ってワクワクしてもらえたらうれしいですね」と語り、家族に向けて「まだまだ道は厳しいですが、絶対恩返しするし、マンゴーを持って帰るのでみんなで食べよう」と変わらない明るさで感謝を伝えるのだった。