





今回の配達先は、サモア。レスリング選手の赤澤岳さん(35)へ、東京都で暮らす父・顯保(あきやす)さん(70)、母・奈緒子さん(68)の想いを届ける。
この日、首都アピアにあるスポーツ施設で練習をしていた岳さん。レスリング強化合宿の真っ最中だった施設には、オーストラリアやパラオなどオセアニア地域6か国の選手が集まっていた。選手はオセアニアの大会でメダルを獲得する20代が中心で、岳さんだけが飛びぬけて年上の35歳。だが実戦形式の練習では、若く実績のある選手を相手に圧勝した。実は岳さんはオセアニア地域では敵なしの実力者。3年後のロサンゼルスオリンピックを目指して、日々過酷なトレーニングに励んでいる。
レスリングを始めたのは小学6年のとき。親戚にマラソンの日本代表だった瀬古利彦さんがいたことから、いつか自分もオリンピックに出たいと夢見て習い始めたという。すると2年後には全国大会で優勝。高校でもインターハイなどで優勝し、このままオリンピックに行けると確信していたが、大学は大ケガで4年間を棒に振ってしまう。それでも、卒業後はより厳しい環境を求めて、世界一のレスリング強豪国ロシアへ。4年間武者修行するも、結局オリンピックには出られなかった。そこで27歳のとき、オセアニア地域での代表を目指して、わずかにツテがあったサモアへの移住を決意。ところが、当時サモアはレスリング協会自体が消滅し、選手もいなかった。そんなときに出会ったのが、ウエイトリフティング協会の会長だったジェリー ウォールワークさん。彼がレスリング協会の会長も兼任してくれることになり、専用の体育館などない中、草むらを練習場に新たなレスリング人生が始まったのだった。
その後、岳さんは練習しながら6年かけて国籍を取得。2023年にはサモア人としてパリオリンピックの最終予選に臨んだ。大一番で前十字靭帯断裂という大ケガに見舞われるが、試合を続行。そして見事勝利し、悲願のオリンピック出場を決めたのだった。結果は1回戦敗退となったが、岳さんは「今、サモアにいるレスラーは全員僕がゼロから育てた選手。教え子と一緒にまたオリンピックに出るって面白いんじゃないかな」と次を目指している。
実際、8年前は競技人口ゼロだったサモアのレスリングは、岳さんの活躍とともに生徒が増加し、今ではオセアニア大会で優勝する教え子も。優れた身体能力を持ちながらも環境に恵まれていないサモアの子どもたちに「チャンスを与えられたら」という岳さんは、教え子からは一切お金をとらず、レスリングでの収入はゼロ。生活費を稼ぐために指圧マッサージ店を経営し、様々な面を妻のシナバリーさん(29)がサポートしてくれている。
オリンピックに出たい一心で移り住んだサモアだったが、愛する妻にも出会い、この国が大好きになったという岳さん。そんな息子の日常を見て、父・顯保さんは「何に対しても熱量が高くて、子どもやレスリング、仕事、奥さんに対してもいつも100%。彼らしい生活をしているようで安心します」と変わらない姿を喜ぶ。さらに、「元々自然の中で飛び回ったり、家内と一緒に釣りに行ったりするタイプだったので、サモアは合っていると思いますね」と、人や地域に馴染んでいる様子にも安堵する。
今後は「学校のようなものを作りたい」と明かし、子どもたちが毎日練習できる環境を整えることで、世界で活躍する選手になってほしいとさらなる大きな夢を語る岳さん。夢のオリンピック出場の機会を与えてくれたサモアに恩返しをしていきたいという息子へ、両親からの届け物は小学生の頃から愛用していた釣り道具。かつて母と行っていた大好きな釣りを楽しんで、たまには息抜きしてくれたら…そんな想いが込められていた。手紙には「サモアの地で次の世代が大きく育つように、感謝の気持ちを込めて『恩返し』をしてください」というメッセージも。岳さんは「恩返しを人にし過ぎちゃって、一番重要な両親に恩返しできていない」と思わず涙ぐむ。しかし、「もうちょっと頑張って、ビッグになってサポートしてあげたいけど、まだロスまでやるとか思っちゃってるから…」と笑い、まだまだ変わらず次のオリンピックに情熱を燃やすのだった。