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#7916月1日(日) 10:25~放送
沖縄県・西表島

 今回の配達先は、沖縄県の西表島。ここでイタリア料理店を営む鄭彰彦さん(39)へ、埼玉県で暮らす父・秀成さん(72)、母・信子さん(69)の想いを届ける。
 石垣島からフェリーで1時間弱、八重山諸島最大の島である西表島は島の9割が亜熱帯のジャングルで、2021年には世界自然遺産に登録された。彰彦さんは3年前、祖納(そない)という古い集落にレストラン「リストランテ・テラ・イリオモテ」を開業。接客から調理まですべてを1人でこなしている。使う食材は八重山諸島のものばかり。お客さんの8割以上が観光客ということもあり、旅先の記憶に残るような食体験の提供を目指しているという。
 実は6年前まで、大阪の大手電機メーカーで営業マンをしていた彰彦さん。仕事は楽しかった反面、徐々にハングリー精神が無くなっていくことにもやもやを感じ、組織の中で閉塞感を覚えるように。それを打破したいと、先の見通しも立たないまま退職を決意したのは入社11年目、しかも結婚して間もないときだった。何の相談もなかった両親は猛反対し、思いとどまらせようと大阪まで駆けつけるが、彰彦さんは説得に応じず組織を飛び出したのだった。「とにかく起業したい」と思いを募らせる中でビジネスチャンスを感じたのが、当時、世界遺産の登録間近だった西表島。一方、料理との出合いは学生時代のアルバイト。だんだんと料理を作ることが好きになっていったあるとき、ふらっと立ち寄った書店で見つけたイタリアンの巨匠・落合務シェフの本に強烈に惹かれ、いてもたってもいられなくなったという。そして2019年に妻・好恵さんと西表島に移住し、イタリア料理のシェフへ転身を果たしたのだった。
 ディナーは1日1組の貸し切り。お客さんとは事前にやり取りをしてリクエストを聞き出し、その要望と徹底的に向き合って一からメニューを考えている。昼間はランチ、夜はディナーの営業があるため、彰彦さんが仕込みを始めたのは午前2時過ぎから。午前8時になると、朝食をとるため一旦自宅に戻る。平日に家族と過ごせるのは、この短い朝食の時間だけだ。休日も家族と一緒に石垣島へ渡り、1週間分の食材を買い出し。毎日、妻も心配するほど寝る間も惜しんで働いている。そこまでして彰彦さんががむしゃらに突き進むのは、ずっと反対していた両親の存在があるという。「今まで僕を大切に育ててくれた父や母の、心からの理解や応援が整った状態で出てきたわけじゃない。きっと父もやるせなかったし、情けなかったと思うけど、それでも僕は今こうやって毎日をおくっているので、ここで負けるわけにはいかないんですよ。休んでる場合じゃない」と胸の内を明かす。
 午後7時、ディナーを予約していた観光客がやってきた。一品目に出したのは、八重山の海の豊かさを表現した「ナンヨウカイワリのサラダ」。魚のメインは沖縄三大高級魚であるアカジンをグリルで。リクエストされていたもずくは沖縄特産のアーサーと生クリームで和え、まろやかなソースとして添えた。また幻の食材ともいわれる琉球猪は、皮の表面だけを油で揚げることで歯切れの良い食感に。いつまでもお客さんの記憶に残る一皿に仕上げた。そんな彰彦さんのもてなしを、お客さんたちも満喫したようだ。こうして厨房でひとり真剣勝負を繰り広げ、営業を終えた後は、また翌日の仕込みに取り掛かる。「なかなかここまで面白いことをやり続けられる人生はないと思う。僕は結構好きですね」と彰彦さんは笑顔を見せる。
 当初は猛反対していたという父・秀成さん。だが、息子がシェフとして奮闘する姿を初めて見て「頑張っているなと感心しましたね」と目尻を下げる。一方、休むことなく働く様子に、母・信子さんは「頑張り過ぎていて大丈夫かなと思っちゃいました」と苦笑する。
 メーカーの営業マンからイタリアンのシェフへ転身し、立ち止まることなく走り続けてきた息子へ、埼玉の両親からの届け物は、蝶が飛び立とうとする姿をかたどったクリスタルの置物。両親が「きらめきながら、未来に向けて飛び立ってほしい」という願いを込めて選んだものだった。その想いを受け取った彰彦さんは、「今の挑戦っていうのは、僕1人だけの挑戦じゃなくて、両親にとっても同じ挑戦をしてくれているんじゃないかと思う。今日から、さらに加速していきたいと思います」と、さらなる奮起を誓うのだった。