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#7905月25日(日) 10:25~放送
ラトビア

 今回の配達先は、ラトビア。ここで合唱団員として奮闘する山﨑志野さん(32)へ、島根県で暮らす父・敦史さん、母・すえみえさんの想いを届ける。
 当時、娘がラトビアに行くと聞いた時は、「まず地図で確かめた」という敦史さん。「なぜそんなところへ…と。全く知らないところですし、生活ができるのか不安が半分、応援したい気持ちが半分です」と複雑な心境を明かす。
 バルト三国の1つであるラトビア。実は“合唱大国”としても知られる国で、5年に1度開かれる「歌と踊りの祭典」には、全国から何百もの合唱団が集結する。志野さんはそんなラトビアの中でも1940年に設立され、そのハーモニーが“世界最高峰の合唱芸術”と称される「ラトビア放送合唱団」に2年前、外国人として初めて入団した。志野さんをスカウトしたのは、世界的にも有名な指揮者のシグヴァルズ・クラーヴァさん。「すべての音に万能に対応できる、世界にも通用する歌い手」と彼女を高く評価する。しかし今、志野さんは大きな壁にぶつかっていた。合唱ではドイツ語やロシア語、古代スラブ語など世界各地の言語を歌わなければならないが、今回初めて発音が難しいフランス語の楽曲に挑んでいたのだ。翌日に控えたコンサートの演目のひとつが、フランス人作曲家プーランクの「人間の顔」。壮大なスケールの楽曲はリズムが複雑なうえ、憎しみや怒り、自由への祈りといった豊かな感情をハーモニーで表現しなければならない。しかも合唱には楽器の伴奏がないため、一瞬の気の緩みが命取りになる。だが練習中、苦戦する志野さんは歌いながら音程のズレを感じている様子で…。
 兄姉の影響で小学5年生から合唱部に所属し、合唱三昧だった志野さん。大学時代は熾烈なオーディションを勝ち抜き、世界青少年合唱団の日本代表として活動していた。そんなある日、演奏会で見たラトビアの合唱団の華やかな響きに魅了され、大学卒業後はラトビア国立音楽院の合唱指揮科への留学を決意した。しかし、ともに教員だった両親にとっては青天の霹靂。そこで両親には、「日本に帰ってきて学校の先生になって、恩返ししていく」と約束する。ところが、そのまま大学院に進み、コンクールでは数々の賞を受賞。そして卒業目前に、ラトビア放送合唱団の入団が決まったのだった。
 現在は合唱団の活動だけでなく、大学の合唱団の指揮者も務め、多忙な毎日をおくる。健康維持のため自炊を心がけているが、ラトビアの冬の日照時間は2時間前後しかなく、しかも曇りがち。そこで食事では意識してビタミンをとっているという。そんな地に渡り、8年が経った。実は大学院の頃には、この国が嫌になったことも。必ず卒業しなければいけないというプレッシャーの中、試験のための合唱団とはうまくコミュニケーションが取れず、練習も思うように進まない。先生に相談してもアドバイスはなく、どうにもならない状態に陥ってしまったのだ。だがそのタイミングで入団の話が舞い込み、現地に留まることに。今ではラトビア放送合唱団の一員としてなくてはならない存在となった。
 迎えたコンサート当日。満席となった会場で、フランスの名曲「人間の顔」が披露された。観客からは大きな拍手が沸き起こり、「素晴らしかった」「涙が出るほど感動的だった」と賞賛の声が相次ぐ。一方、無事舞台を終えた志野さんは、「今はコンサートの直後でわからない」と言いながらも、満足そうな笑顔を見せた。
 今後は、「正直、この先どうなるかわからない。でもいつか、2つの国の架け橋みたいなことができるようになればいいなと思っています。ラトビアにある独特の音楽、空気感も合わせて日本の人にも紹介できる音楽家になれたら」と語る志野さん。これからも美しい響きを奏で続ける娘へ、母からの届け物はかわいらしいタッチで太陽や動物が描かれた壁掛け。かつて教員をしながら趣味で絵を描いていた母が20年ぶりに筆をとったものだ。手紙には「何も言わなかったけど、きっと辛いこともあったことと思います。毎朝目が覚めた時にお日様を毎日見て、元気に1日を迎えてほしいです」と綴られ、志野さんは涙があふれる。そして「私は自分のしたいことをとにかくやろうとしてここまで来ているので、静かに応援をしてくれたというのは本当に感謝しています」と、ずっと見守ってくれている両親に率直な想いを伝えるのだった。