





今回の配達先は、オーストラリア。ここでカフェを営む小曽根優さん(38)へ、栃木県で暮らす父・淳さん(73)、母・美栄子さん(68)の想いを届ける。
2020年、優さんと夫の正明さん(37)は、カフェ大国・オーストラリアの中でもカフェ激戦区であるシドニーのニュータウンに「Comeco Foods Cafe(コメコフーズカフェ)」をオープン。「コメコ」とは米粉のことで、カフェでは小麦粉などの代わりに米粉を使うグルテンフリーの料理を提供している。実は、優さんはオーストラリアに来て4年後に突然、小麦アレルギーに。さらに乳製品アレルギーも発症したことから、小麦をはじめ、肉、魚、卵、乳製品を全く使わないメニューを自ら開発したのだった。
店の看板商品が、ドーナツ。研究を重ねてたどり着いたレシピで作るドーナツは、もちもちでふわふわな食感が大人気で、シドニーの大きな食品コンペティションでは銀賞を受賞した。そんな優さんの様々なアイデアと手間暇をかけた料理はアレルギーに悩む人以外にも評判で、グルメ雑誌の「シドニーの美味しいカフェトップ20」に2年連続で選ばれる快挙も成し遂げた。自身もアレルギーに苦しんだからこそ、誰もが我慢することなく存分に食事を楽しんでほしい…それが優さんの願いだ。
子どものときは、教師だった両親に代わって祖母と過ごす時間が長かった優さん。その頃、祖母から料理を習い始めたのが今につながっているという。人との出会いにも恵まれ、今ではカフェも行列ができる人気店に成長。だが、実はここまでは苦労の連続だった。大学を卒業して就職した大手企業では、人見知りを克服しようとあえて苦手な営業職についた。しかし、周囲に追いつこうと一生懸命頑張り続けたものの、「元からの素質にはかなわない」と感じるように。そこで得意の英語を武器にしたいと、両親の意に反して半ば強引にオーストラリアに渡り就職する。そして競走馬の調教師をしていた正明さんと出会い結婚するが、その矢先、優さんは重度のアレルギーで体調を崩し、退職。さらに正明さんが落馬し、歩けない状態になってしまう。相次いで不運に見舞われた2人だったが、このときコーヒーが大好きだった正明さんはバリスタになろうと一念発起し、技術を習得。一方、食事を改善する中で米粉と出会った優さんは、その良さを伝えたいと米粉で作ったパンの販売を開始する。最初は全く売れなかったが、「オーストラリア人はドーナツが大好き」というアドバイスを受けてドーナツに切り替えると、1日で800個を売り上げるほどに。優さんは手応えを感じ、正明さんの足も奇跡的に回復。その後、カフェの開業にこぎ着けたのだった。
現在、一人娘の学校の送り迎えは優さんが担当。小さい頃、自分が寂しい思いをした分、娘との時間を大切にしているという。教育熱心だった両親は厳しく、「しっかり勉強して、いい学校、いい会社に入って、そこで知り合った男性と結婚するのが一番の幸せ」という考え。優さんは両親が望む理想の娘になろうと努力したものの、「型にはまるのが上手くできないタイプだと思う。もっと自分に自信を持って、親を説得するだけの力があれば変わっていたのかもしれない」とかつてを振り返る。
娘の心境を知り、母・美栄子さんは「子どもとしては、親の期待に少しでも応えたいと途中までは思っていたんですね…」、父・淳さんも「自分ももうちょっと寄り添ってやれればよかったなと。特に、孫を見ていると反省の気持ちもあります」と当時を思い返す。一方、優さんのカフェを見るのは今回が初めて。頑張り過ぎる娘を心配していた美栄子さんだったが、「お客さんが喜んでくれるのを見るとすごくうれしいですね」と安心する。
アレルギーを乗り越えた経験を活かして、少しでも同じ悩みを持つ人たちを助けたいと日々奮闘する娘へ、母からの届け物は、優さんのこれまでの人生をまとめた手作りのアルバム。そこには懐かしい写真とともに、当時娘に伝えきれなかった母の想いが記されていた。1つ1つに目を通しながら、涙がこぼれる優さんは、「そんなに応援してくれているって思っていなくて…私と過ごした思い出をいとおしく思ってくれているんだなってことが、すごくすごくうれしいです」と、改めて両親が愛情を持って育ててくれたことに感謝するのだった。