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#7885月11日(日) 10:25~放送
エストニア

 今回の配達先は、旧ソ連から独立したバルト三国のひとつ、エストニア。ここでバレエを学ぶバレエダンサーの中林寛登(ひろと)さん(19)へ、兵庫県で暮らす両親の想いを届ける。
 首都タリンにある「エストニア国立タリン音楽バレエ学校」は、古くからこの街にあったバレエ学校と音楽学校が合併し、2022年に開校。12歳から19歳まで約700人が学んでいる。現在、バレエ科の最終学年に在籍する寛登さんは学費を免除された特待生で、目標はプロとしてヨーロッパのバレエ団に入ること。今年6月に学校を卒業する予定だ。
 寛登さんがバレエを始めたのは5歳のとき。姉が習っていたバレエの発表会を見に行き、一瞬で虜になった。そしてプロを目指して14歳で選んだのは、本場・ロシアへの留学。国立のバレエ学校で学び始めると、コンクールで1位になるなどメキメキと上達した。しかし2年が過ぎた頃、ウクライナ侵攻が始まり人生が一変。日本に帰国するが、すぐにロシアの隣国エストニアにバレエ学校があると知り、オーディションを受けて入学したのだった。
 「絶対にプロのバレエダンサーになって、ヨーロッパで活躍する」。その一心で人一倍の努力を重ねてきた寛登さん。ほかの人より体が固くケガをしやすいため、必ず授業の合間にはストレッチとマッサージでしっかりと体をほぐす。加えて、ずっと悩み続けてきたのが身長。現在は173センチあるものの、日本にいる頃から身長の低さに悩み、母も病院に相談するなどしていたという。しかし一方で、そのハンデを克服すべくテクニックを磨いてきた甲斐があり、2日後に控えた舞台公演では主役に抜擢された。重要な見せ場となるのがソロでの踊りと、デュエットパート。相手の体を腕だけで支えながら回すという難しい振り付けがある。公演に向け練習に打ち込む寛登さんだが、実は1週間前にバレエの要ともいえる右足の親指を突き指してしまい、強い痛みをこらえていた。
 放課後、恋人の瑠香さんの元へ向かった寛登さん。学校で出会った彼女もプロのバレエダンサーが目標で、同じ夢を追う2人は、就職活動としてヨーロッパ各地のバレエ団に送るプロフィール動画の撮影を行っていた。2人が暮らすのは同じ学生寮。学費は免除されている寛登さんも、寮費と生活費は両親からの仕送りで賄っている。そこで体調管理と節約のため、毎日2人で自炊。この日は大好物の親子丼を作った。
 2日後、迎えた公演当日。学校内の劇場で行われる舞台を見に来るのは、わざわざチケットを購入したバレエ愛好家たちで、学生はいわばプロと同じ条件で踊ることになる。舞台はエストニア語で「嵐」と名付けられた30分の作品で、自然と生き物の共存、環境破壊の問題などをクラシックバレエとコンテンポラリーダンスで表現する。練習を重ねたデュエットパートの後は、主役である寛登さんのソロパートが。体を大きく見せるためダイナミックに動きながらも、頭のてっぺんから指先にまで神経を行き渡らせたパフォーマンスを披露。突き指の影響を感じさせることなく見事に踊り切り、観客からは大きな拍手がおくられた。
 実はケガをしていることは知らなかったという寛登さんの父だが、公演の模様を見て「向こうの観客の方に認められているのがとてもうれしいですね」と喜ぶ。一方、母も「プロという夢に向かって進んでいるのを見せていただいてよかったです」と、大きく育った息子の姿に一安心する。
 プロのバレエダンサーになるため、わずか14歳で親元を離れ、ようやく夢の入り口にたどり着こうとしている息子へ、両親からの届け物は手編みの腰巻きストール。寒いエストニアで体を冷やさないようにと母が何週間もかけて編んだもので、父が神社で授かってきた足のお守りも縫い込まれていた。さらに父からの応援の手紙を読んだ寛登さんは、「うれしいです」と涙をぬぐう。そしてこれまでを振り返って、「不安なこともたくさんあったんですけど、ずっと支えてくれてここまで来れた。この家族に生まれてよかったなって思います。すごい幸せです」と喜びを伝えるのだった。