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#7875月4日(日) 10:25~放送
大分県

 今回の配達先は、歴史深い温泉の街として知られる大分県別府市。ここで温泉染職人として奮闘する行橋智彦さん(36)へ、東京都で暮らす父・良和さん(67)、母・雅江さん(60)の想いを届ける。
 温泉街から少し離れた住宅街に工房を構える智彦さんが手掛けるのは、温泉の成分で染物をする「温泉染」。例えば手ぬぐいを染める場合、まずは「柿渋」という渋柿の絞り汁を熟成して作った染料をはけで塗り、柿の実のような薄いオレンジ色に染め上げる。その後、高濃度の温泉に手ぬぐいを浸すと、なんとオレンジ色が濃いグレーに変わる。植物の成分と温泉の成分が反応して生まれるこの独特の色合いが智彦さんの編み出した「温泉染」であり、普通に染めただけでは生まれない魅力があるのだという。
 実は9年前まで、全国を旅しながらその土地の植物で布を染めて服を作る活動をしていた智彦さん。理想の染物を求めた旅では作った服を売ることはなく、東京で半月アルバイトをしてはお金を貯めて旅に出るという生活を送っていた。そんなときに訪れた別府でふと思いつき、温泉で染物をやってみると、これまでにない色の変化が。それに衝撃を受け、智彦さんは移住を決めたのだった。
 別府では約2000か所から温泉が湧き出ていて、しかも場所によって泉質が全く異なる。1つの土地でこれだけ多様な温泉が湧くのは世界でも珍しく、これこそが智彦さんが別府に根を張る理由だ。同じ植物を使って同じ条件で染めても、泉質が違うと色も違うものになるのが温泉染の醍醐味であり、日々様々な温泉と植物の組み合わせを探求中。別府に移住して10年近くになる今でもまだ新しい発見の連続だそうで、その探求に終わりはないという。
 智彦さんは造園業を営む両親のもと、5人きょうだいの長男として育った。子ども達を養うため家計はいつもギリギリ。おしゃれに目覚めた思春期の頃は欲しい服を買ってもらえず、自分で作り始めたのが自身の原点となった。次第に服作りを仕事にしたいと考えるようになり、ファッションの専門学校に進学。そこで染物を学ぶ中で、植物で染める草木染めに興味を持った。実はそのきっかけは、実家の庭。造園業という仕事柄、四季折々の草花が植えられていて、様々な植物を染物に使うことができたのだった。こうして染物の魅力にとりつかれた智彦さんは、別府に来てからもお金は二の次で、温泉染の研究に明け暮れてきた。しかし、最近は商品開発や通販に力を入れるなど、温泉染で稼ぐことを意識するようになったという。その理由は、布細工と陶芸の作家である妻・ちぐささんと結婚し、昨年には子どもが誕生したから。「今までは、甘っちょろいけど『物々交換で生きていける』と思っていたし、実際生きてこれていた。でも今は、自分がちゃんと作ったものでお金が入って、それでまた良いものを作れて…っていう当たり前のサイクルが健康的だなって」と心境の変化を明かす。
 そんな息子の生活や思いを知り、父・良和さんは「子どものために稼いでくれ始めたなって」と笑顔に。母・雅江さんも「本当に真面目にやってるんだと思って。安心しました」とホッとした表情を見せる。
 そんな温泉染の活動が地元で注目される智彦さんに大きな仕事が舞い込んできた。今年5月から1年間、別府温泉の歴史や文化が学べる「地獄温泉ミュージアム」で温泉染の展示をすることが決まったのだ。さらに展示に合わせて地元企業とのコラボ商品開発の依頼も。智彦さんにとっては、ここからが正念場となる。
 「別府の温泉は50年前に降った雨が大地に染み込んで、最後に温泉になって湧いてくる。そういう大きな循環を知ったので、別府でものづくりをするなら50年やり続けて、50年後に“文化”と呼べるものになるようにしたい」と智彦さん。温泉に導かれるようにしてこの地に根をおろし、これからも探求を続ける息子へ、両親からの届け物は、実家の庭に植わっているキンカンの枝。さらに、両親が愛用中のTシャツが添えられ、「キンカンを使って染めて欲しい」という伝言も。智彦さんはそんな要望に大笑いしながらも、「まあ、やりきるってことですよね。自分の決めたことをやり続けて、ゴールはわからないけど、責任を持ってやり切ることがいいのかなと思います」とこれからについて語るのだった。