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#7854月20日(日) 10:25~放送
オーストリア・ウィーン

 今回の配達先は、オーストリアの首都・ウィーン。ここでピアノ調律師をしている加藤嘉尚さん(66)へ、福岡県で暮らす姉・敦子さん(70)の想いを届ける。
 かつて貴族が音楽家を集めたことから、「音楽の都」と呼ばれるようになったウィーン。嘉尚さんはこの日、モーツァルトが6歳の時にコンサートをしたことで知られるパルフィ宮殿からの依頼でピアノの調律をしていた。ここで定期的に調律してもう20年になるという。ピアノは、鍵盤を指で押さえるとハンマーと呼ばれる部分が跳ね上がり、それが弦を叩くことで音を出す。弦の数は1台のピアノで約200本あり、調律師はその1本1本をチューニングハンマーという道具で調律していく。チューナーは使わず、自身の耳だけで音を判断。嘉尚さんだけに見えるピアノの音を少しずつたどりながら、乾燥などでゆるんだ弦を直し、正しい音に整えていく。
 ウィーンに移住したのは1983年、24歳のとき。中学時代はフォークソング全盛期でギターにはまり、同時に機械も好きだった嘉尚さんは、毎日ギターを弾く前にすべての部品をバラして掃除や調整をしていたという。そんな頃に大きな衝撃を受けたのが、調律師の仕事。自宅に姉のピアノがあり、調律師が200本もの弦を持つピアノをやすやすと調律する姿を目にしたのだった。そこで調律師から学校があることを教えてもらった嘉尚さんは、楽器メーカー・ヤマハの学校で学び、卒業後ヤマハに就職。そして調律師となり3年たった頃、車のラジオから流れてくるラジオ体操のピアノの音色に心を奪われた。調べてみると、演奏で使われていたのはドイツ製の高級ピアノ。「世界にはこんな素晴らしいピアノがあるんだ」と再び衝撃を受けた嘉尚さんは仕事を辞め、あてもないまま音楽の都・ウィーンへ渡ったのだった。
 ウィーンではピアノ工房に就職した嘉尚さん。だが、日本製のピアノの調律しかあてがわれず、いくら技術を覚えても変わらない環境に憤りを感じ、工房を離れることに。そんな頃、後に生涯の相棒となるハンス・ヴァルナーさんと出会う。ハンスさんが嘉尚さんにピアノの調律を依頼したことがきっかけで、意気投合した2人。そして実は貴族の末裔で、遺産を食いつぶすだけの生活が嫌だと感じていたハンスさんは家を飛び出し、2人でピアノのレンタル業を始めたのだった。居場所を無くした若者同士でアイデアを出し合い、立ち上げた事業は予想以上の反響があり、音楽を学ぶ学生や若い音楽家が多いウィーンではとても重宝されているという。ウィーン中心部の一等地にある元貴族の屋敷に構えた工房では、嘉尚さんがオークションで仕入れた中古ピアノの修復作業を、ハンスさんが事務的なことを担当している。
 結婚して30年になる妻の日野妙果さんは現役のオペラ歌手。出会いは35年前、ウィーンの音楽学校に留学していた妙果さんがピアノの調律を依頼したのがきっかけだった。妙果さんは嘉尚さんについて、「とにかくピアノが好きなので、きっと死ぬまで働いていると思う。帰ってこないときは、『可愛い子が来たんだね』って思っています」と笑う。だが一方で、仕事が軌道に乗るほど日本に帰る機会は減少。心臓を悪くしながらも息子が帰ることを励みに頑張っていた母は、帰国した息子の顔を見た翌日に旅立った。そのとき、ウィーンに戻ってやりたいことをやるよう背中を押してくれたのはいつも優しい姉だったという。
 そんな姉の敦子さんは、今の弟を見て「周りもいい方ばかりで、よかったですね」と胸をなでおろす。また、調律師になるきっかけとなった実家のピアノについては、「私は『新しいピアノが家に来てうれしいな』とワクワクしていたのですが、弟は『これは中でどうなっているんだろう』とかそんな思いで見てたんですね」と感慨深そうに振り返る。
 ただひたすらに大好きなピアノを追い求め続ける弟へ、姉からの届け物は手作りのアルバム。そこには姉弟がともに過ごした当時の懐かしい家族の姿が収められていた。さらに手紙には、「母が亡くなり実家を処分してからは、私があなたの心のふるさとになれたらいいなと思ってきました。お互いにいつまでも元気で明るく過ごせますように」というメッセージが。姉の温かな想いを受け取った嘉尚さんは「やっぱり、昔から変わらず優しいお姉さんで…ありがとうございます」と涙声で感謝を伝えるのだった。