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#7844月6日(日) 10:25~放送
台湾

 今回の配達先は、台湾。ここで民宿の女将をしている橘ありささん(31)へ、宮城県で暮らす父・広さん(67)、母・幸江さん(60)の想いを届ける。
 台湾最南端、恒春半島に位置する墾丁国家公園は、台湾随一のリゾート地。その街から車で20分、さらに半島の高台へ続く道を20分歩くと、ありささんが女将を務める「珊瑚園民宿」がある。ありささんは大学時代イギリスに留学し、そこで今の夫であるジュンウェイさん(38)と出会った。遠距離恋愛の末、2017年に結婚。台湾に移住し、義父と亡き義母が始めた民宿の女将として奮闘している。台湾の「民宿」は、日本でいうと「高級旅館」のようなもの。それぞれの特色を活かしたおもてなしにより、日常から解放された時間を過ごしてもらうのが民宿なのだという。そして珊瑚園民宿の大きな特色が「朝食」。ありささんが作る唯一無二の朝食と多彩なスイーツが評価され、2018年には台湾ベスト100の民宿に選ばれた。この日のメニューは、台湾の定番朝食「ダンピン」。さらに、ここでしか味わえないありささんオリジナルレシピの料理が日替わりで並ぶ。小さいときから料理が好きだったというありささんは、「自分のご飯を食べて笑顔になってくれたらすごくうれしいし、もっと多くの人のためにおいしいご飯を作るのが目標」と語る。
 宿泊客の朝食が終わると、急いで2人の子どもを幼稚園に送り届け、すぐに民宿に戻る。家族経営の民宿に休みはほぼなく、ありささんも毎日のほとんどを民宿のキッチンで過ごしている。そして朝食、家族のご飯、時間があればスイーツの試作と、いつも料理のことを考えているという。
 大学卒業後、「多くの人においしいご飯を作る」という幼い頃に抱いた夢に向かって大手外食チェーンに就職したありささん。だがその頃、夫の母ががんに。そこで、優しかった義母が大切にしていた民宿を守るため、23歳の若さで珊瑚園民宿に嫁ぎ女将となった。わずか3か月で会社を辞めることになったが、「今は自分のやりたいご飯を作って、みんなの笑顔を見たいっていうのができるチャンス。精一杯やれることをやりたい」と懸命に働いている。しかし一方で、ありささんは大きな壁にぶち当たっているという。「経験の無さにずっと引け目がある。外の世界の厳しさや基準などをあまり知らずに来ちゃったし、今は隔絶された世界で、確固たるものがないから…」。いまや民宿も賞を獲り、評判も上々。だがずっとひとりで料理と向き合ってきたありささんは、自分の料理は本当においしいのか?間違ってはいないのか?自問自答の日々が続いている。
 街の市場に出ると、食材だけでなく働いている人が食材を切る手さばきにも目を凝らすありささん。さらに家族と夜市に遊びに行っても、食べ歩きメニューの材料や店の人の手際をチェックする。楽しいひとときでも料理のことが頭から離れないありささんは、家に帰ると再びキッチンにこもった。こうしてひとりで新メニューを試行錯誤するとき、いつも思い浮かべるのが、料理の先生をしていた祖母のこと。小さい頃から包丁の使い方や出汁の取り方を教えてくれた祖母は、ありささんが中学生の時に逝去。以来ありささんは誰の手ほどきも受けたことがないという。ありささんを料理の世界に導いたおばあちゃんの味。その記憶だけを支えに今、戦っているのだった。
 娘が社会経験の無さに引け目を感じていると知り、父・広さんは心配しながらも、母・幸江さんともども「努力していることがよくわかった」と日々の取り組みに感心する。また料理を教えてくれた祖母について、広さんは「僕は男2人の兄弟で、母親は娘が欲しかったらしいんです。そこへ孫のありさが行って、料理してというのがすごく楽しかったんだと思います」と振り返る。
 台湾に渡り8年。女将としておいしいご飯を届けるため、たったひとり料理に向き合う娘へ、両親からの届け物は祖母の包丁とレシピ。さらに、子どものときに使っていた小さな包丁も同封され、ありささんは「娘に使わせようかな。娘が見る景色が、私が小さい頃におばあちゃんと見た景色と一緒になるかもしれないと思うと、ジンとくるものがありますね」と懐かしそうに眺める。そしてレシピを手に取り、「このおばあちゃんの味は確かで、一番信じている味。自信を持ってたくさん料理の練習をして頑張りたいと思います」と、今まで以上に料理の道を邁進すると誓うのだった。