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#67611月27日(日) 10:25~放送
カンボジア

 今回の配達先は、カンボジア。子ども達の命を救うために奮闘する小児科医の嘉数真理子さん(44)へ、沖縄県で暮らす母・美代子さん(74)の想いを届ける。当時、娘がカンボジアへ渡ることに大反対したという美代子さん。実は、真理子さんの姉・悠子さんも2014年に取材したハワイの国立天文台で働く天文学者で、子どもが2人も海外に行ってしまったことが寂しいのだという。しかも、真理子さんの赴任期間は2年の約束だったにもかかわらず、「もう5年経ちました…」早く戻ってきてほしいと、母としての本音を漏らす。
 首都プノンペンから車でおよそ1時間。郊外の町・ウドンにある「ジャパンハートこども医療センター」は、日本の国際医療NGOが2016年に設立した病院で、日本人の医師や看護師、医療スタッフ総勢33人が働いている。ここで小児科部長を務める真理子さんの専門は小児がん。平均月収が約2万円のカンボジアでは、お金がかかる「がん」は治療を諦めざるをえない病気とされる。だが、この病院は日本の企業やカンボジアの個人からの寄付で運営されており、医療費は無料。真理子さんのもとには日々、がんと闘う子ども達がやってくる。その1人である14歳の男の子は、首の右側にこぶし大の腫瘍がある。日本ではここまで大きくなる前に治療をするのだが、カンボシアでは診察もままならず放置されてしまうとのこと。そんな患者の診察や治療はもちろん、若いカンボジア人医師の指導も真理子さんの仕事。しかも、自分がやりたいことをやらせてもらっているため、あえて給料はもらっていないという。
 沖縄で生まれ育った真理子さんが医師を志したのは中学2年生の時。父ががんにより45歳の若さで亡くなったことがきっかけだった。「誰も治せないなら、私が治せるお医者さんになろう」と決め、地元の琉球大学医学部に進学。さらに病院での実習で脳腫瘍の子どもの担当となったとき、悔いの残る別れを経験したことで子どものがんに取り組むように。大学卒業後は静岡と沖縄の県立病院で小児科医として勤務した。その頃、「途上国では小児がんの子ども達は2割しか助からない」という現実を知り、強いショックを受けた真理子さん。そういった子を救う活動ができるんじゃないかと考えていたときにNGOの「ジャパンハート」と出会い、2017年に日本でのキャリアを捨てカンボジアへ渡ったのだった。母とは2年だけの約束だったが、気付けば今年で5年目。しかし、現地の人だけでこの病院を運営できるようにし、カンボジア人の愛弟子を一人前の医師に育てるまでは帰ることはできないという。
 「子ども達の命を救いたい」その一心でカンボジアに留まり続ける娘へ、母からの届け物は帽子。カンボジアの強い日差しを心配した母が手編みしたものだ。添えられた手紙には、真理子さんが自慢の娘であることと、日本に帰ってきたら「また、思い出の別府温泉に連れて行ってね」という言葉が綴られていた。思わず目が潤む真理子さん。そして「離れてなかなか会えないですけど、心配させたなと思って…ぜひ温泉に連れて行くのは叶えたいですね」と帰りを待ちわびる母にメッセージを伝えるのだった。