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#63412月19日(日) 10:25~放送
ブルキナファソ

 2019年、西アフリカの国・ブルキナファソでアフロコンテンポラリーダンスを学んでいた吉田燦さん(当時21)。「アフロコンテンポラリーダンス」とは、約20年前に西アフリカで誕生したダンスで、力強いアフリカンダンスに現代的な表現方法をミックスしたもの。高い芸術性がヨーロッパで評価され、世界的にも注目され始めている。とはいえ、専門で教える学校は世界でまだ2つしかなく、燦さんは2018年1月にダンス学校があるブルキナファソに渡った。ブルキナファソは世界で最も貧しい国の1つとされる一方で、アフリカ最大の映画祭「フェスパコ国際映画祭」を開催するなど国を挙げて芸術の振興に力を入れており、新たな才能が世界に輩出されつつある。燦さんは首都ワガドゥグにあるダンス学校「CDC ラ・テルミティエル」に通っているが、日本人の生徒は1人だけ。そもそもアフロコンテンポラリーはアフリカ人の高い身体能力と楽譜には書き表せないアフリカ独特のリズム感から生まれたダンスであり、日本人の燦さんが身につけるのは並大抵のことではない。
 ダンスを始めたのは小学1年生からで、母の勧めでクラシックバレエを習っていた。中学2年生の時、地元・静岡で行われたダンスイベントに参加。そこで初めて踊ったアフロコンテンポラリーに衝撃を受け、人生が変わる。バレエとは対照的に型にはまらず自分を表現できるダンスに魅了された燦さんは、イベントでダンスの演出をした世界的パイオニアのニヤカムさんに「プロになりたい」と訴え、ダンス学校のあるブルキナファソへ留学。プロのダンスカンパニーに入って世界で活躍するダンサーになることを目標に、日々レッスンに励んでいた。
 燦さんが1歳の時に両親が離婚。それから母は毎日飲食店で働き、女手一つで娘を育ててきた。今も毎月仕送りをしてもらっているが、実は母と約束した留学期間は1年間。もうすぐ2年が経つものの、この先どうするのか、いつ日本に帰るのかなど今後のことは一切伝えていない。「お母さんには申し訳ないけど、もうちょっとアフロコンテンポラリーを学びたい。多分3年目も…」と燦さんは本音を明かす。遠く離れた地で世界の舞台を目指す娘へ、母からの届け物は、ダンスの練習後にいつも飲んでいた母手作りのしそジュースと、燦さんの好物ばかりを記した手書きのレシピノート。体を気遣う母の想いに触れた燦さんの目には思わず涙があふれ、「感謝しかないです。一人前のダンサーになって、母を招待してダンスを見せることが私の親孝行かなと思っています」とさらなる努力を誓ったのだった。
 あれから2年半。今もブルキナファソにいる燦さん(23)とぐっさんがリモート中継をつなぐ。現地では新型コロナウィルスの流行がほとんど無いそうで、アフリカ最大の映画祭「フェスパコ国際映画祭」も開催された。燦さん自身はダンス学校を卒業し、フェスパコの開会式にダンサーとして出演。映画関係者でにぎわったレッドカーペットや会場周辺の様子を燦さんがリポートし、開会式で行ったダンスの映像を披露する。また現在は、新たに女優業を始め、ギリギリながらも母からの仕送りなしで生活をしているという。ブルキナファソのドラマで女優業として活躍する撮影風景を紹介しながら「いろんなことに挑戦しつつ頑張っていきたい」と目を輝かせる燦さん。ぐっさんも「いつかレッドカーペットを歩くところを見たいですね」とエールをおくる。