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#6229月26日(日) 10:25~放送
南フランス

 2019年、南フランスのプロヴァンスでシェフとして奮闘していた大畑鉱平さん(当時38)。鉱平さんが働くホテル「ベレソ」は、夏場のバカンス客向けに作られたリゾートホテルで、経営状態が良くなかったところを今のオーナーが買い取り改装。8か月前に再スタートを切ったばかりで、ホテル立て直しの切り札として鉱平さんがレストランの責任者に抜擢されたのだった。「パリも東京もレベルは高いけど、バカンスで同じようなものを食べたいとは思わない。だから “パリではなかなかできないもの”をテーマに、地方のものにこだわる」という鉱平さん。地元の食材からアイデアを得て、さらには日本料理の技なども取り入れながら、都会では食べられない料理を生み出している。そして3年以内に達成したい目標の一つが、「レストランがあるからホテルに泊まるというお客さんが増えること」だといい、週に1、2種類は新作メニューを考案。帰宅は毎日深夜になり、パティシエとして鉱平さんと共に働く妻の菜摘美さんは、そんな夫の姿を「いつも頭の中で進めていることが3つぐらいあって、生き急いでいるような感じがする」と苦笑する。
 高校時代は夢もなく、大学に行く意味も見いだせずにいたという鉱平さん。その頃、たまたま見つけた案内書をきっかけに、なんとなく調理の専門学校へ入学することに。そこで「自分の腕で人を喜ばせる」という料理人の生き方を学び、「これが本当に就きたい仕事だ」と光が見えたという。日本で修業した後、フランスへ。パリの星付きレストランなどでがむしゃらに経験を積み、38歳となったこの年、初めてシェフとして店を任された。すっかり大好きになったこの地を一番に見せたかったのは、亡き父。かつて生きる道が見つからずにいた息子を心配しながらも、何も言わず温かく見守ってくれていたことを今も感謝している。実は父は鉱平さんの元を訪れる予定でフランス行きのチケットまで手配していたが、渡航前に心筋梗塞で倒れ急逝。自身も料理が好きで、息子と料理対決する話も出ていたほど楽しみにしていたが、念願は叶わなかった。そんな父の想いを胸に、ホテル再建という目標に邁進する鉱平さんに届いたのは、俳句が書かれた色紙。30年ほど前、小学生だった息子に父が詠んでプレゼントしたもので、添えられた母の手紙には「この俳句の意味が、夢に向かって一歩一歩ステップアップしてきた今の鉱平にぴったりだと思い、改めてこの句を届けます」というメッセージが。父と母が連携した届け物に鉱平さんは感激し、「これからもっと頑張らないと」と気持ちを新たにしたのだった。
 あれから2年。ぐっさんがプロヴァンスにいる鉱平さん(41)とリモート中継をつなぎ、近況を聞く。取材後、鉱平さんがシェフを務めるレストランが2021年のミシュランガイドに掲載され、さらにミシュランのサイトでは3万軒以上あるといわれるプロヴァンスのレストランの中から、「訪れるべき3つの店」に選出された。現在は「鉱平さんの料理を食べたい」というお客さんで連日満席だという。さらにホテルのレストランだけでなく、鉱平さんは近くの町にラーメンをはじめカツ丼や焼きそばなどを提供する新店舗を出店。オープンして1週間後に町がロックダウンしたため思わぬ苦労があったというが、気軽に食べられる日本の味がプロヴァンスの人々を魅了している。妻の菜摘美さんは「さらに忙しくなって、相変わらず生き急いでいる」と笑うが、鉱平さんは掲げていた目標が実現しつつあるといい、「今はすごく充実している」とぐっさんに報告する。