過去の放送

#6045月2日(日) 10:25~放送
沖永良部島

 今回の配達先は、鹿児島県の沖永良部島。クレヨン作家として奮闘する宮澤夕加里さん(38)へ、大阪で暮らす母・登志美さん(69)の想いを届ける。
 鹿児島本土よりも沖縄に近い、奄美群島のひとつ沖永良部島。夕加里さんはこの地で島の天然資源を材料にしたクレヨンを製作している。夫の転勤で3年前に沖永良部島にやってきた夕加里さんが、1年以上ママ友たちと試行錯誤を重ね、昨年完成した「えらぶ色クレヨン」。溶かした蜜蝋(みつろう)に、シマ桑という島特産の茶葉など色の元となる原料を混ぜて、型に入れて固める。どの色も「沖永良部にあるもの」というのがこだわりで、シマ桑のほか、赤土、イカ墨、島みかん、ヤシの実、マンゴー、コーヒー、琉球藍、ビーツという全9色を生み出した。色の出方はその時の素材次第で、「それが自然だし、面白いなと。2つと同じ色はないかもしれない」という。
 ある日訪れたのは、伝統工芸士の長谷川千代子先生の工房。色の材料のひとつ、島みかんをもらいに来たのだった。みかんは島のあちこちの家に植わっているが、誰も取らないため実質取り放題。だが、みかんのお礼に先生の織物工房を手伝うまでが夕加里さんの自分ルールだ。原料を沖永良部のモノにこだわっているのは、島にはもっと良いものがあることを知ってほしいから。名産のソデイカもそのひとつで、本来は海に捨ててしまうイカ墨をわざわざ取り置きしてもらっている。蜜蝋は、マンゴー園を営み、受粉用のミツバチからとったハチミツも販売している農家の東孝一さんから譲ってもらう。元々、東さんのハチミツが島のスーパーに並んでいるのを目にしたことからクレヨン作りを思いついたのだという。
 独学でクレヨンを手づくりする夕加里さんだが、本業はフリーの編集ライター。かつては出版社に勤め、旅情報誌「るるぶ」を7年間担当した。実は幼い頃に両親が離婚。母は娘のために外でバリバリ働きながらも、寂しい思いをさせまいと、旅行にも頻繁に連れて行ってくれた。しかし母はいわゆる“教育ママ”で、感謝はするもののわがままや本音は言い出しにくかったという。そんな母の期待に応えようと、夕加里さんは早稲田大学に進学するが、在学中に行ったアメリカ留学で全てが一変。「世界はもっと自由で、自己主張しないと始まらない」と知り、衝撃を受けた。出版社に就職した後、仕事で各地を巡りながらも自由に生きてみたかった夕加里さんは、沖縄に魅了されたことを機に会社を辞めて移住。母には事後報告だったという。「母の用意したレールの上を進んでいた」という娘の思いを知り、母の登志美さんは「自由じゃなかったんですね」と苦笑。「なるべく普通にと思って育てたので、ある意味厳しく育てた」と振り返る。そして現在の姿に、「自分を解放して生きていてうらやましいし、すごくよかった」と目を細める。
 自衛官である夫の転勤で沖縄から沖永良部へ移住したが、辞令は3年ごとにあるため、そろそろこの島を離れる時期がやってくる。そんな中、夕加里さんは新たに、島の特産品であるじゃがいもを使った粘土の開発に取り組んでいた。「『どうせいなくなるし』というのは好きじゃない。その土地を楽しみたいし、離れたとしても帰ってこれる理由があったらいいなと思ってます」。呪縛を断ち切って自由に躍動し、「来た土地に根を張りたい」と今を全力で生きる娘へ、母の思いが届く。