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#5962月28日(日) 10:25~放送
岐阜県・飛騨市

 今回の配達先は、岐阜県。飛騨地方でわらび粉職人として奮闘する前原融さん(31)へ、群馬県桐生市で暮らす父・武さん(63)、母・清美さん(61)の想いを届ける。地元で働いていた融さんが仕事を辞め岐阜に行くと聞いたとき、武さんは「自分もなりたくてサラリーマンになったわけではないので、自分の思ったことで生計を立てられるなら一番だと思って」と応援し、送り出したという。一方、「本当に反対でした」という清美さんは、「1人で生活しているわけだから、結婚などは考えているのか…」と息子の将来を心配する。
 県の北部、北アルプスの麓にある神岡町の山之村。標高1000メートル、人口わずか130人の“地図にない村”と呼ばれる場所で、融さんはわらび餅の原料であるわらび粉を作っている。わらび粉は、山菜としてよく食べられるわらびの茎からでんぷんを抽出したもの。昭和初期、山之村は良質なわらび粉を生産する一大産地だったが、昭和30年を最後に途絶えていた。融さんは当時の製法を復活させたいとこの地に移住。国内に数軒あるわらび粉の専門業者の中でもすべて手作業で作っているのは融さんだけだという。粉の品質を落とさないために機械は一切使わず、気の遠くなるような作業が続く。そんな融さんの挑戦に欠かせない人が、この地域で唯一、昭和のわらび粉作りを経験している下林津谷子さん(91)。師匠のような存在である津谷子さんに会いに行っては、意見を仰ぐ。
 大学卒業後は地元群馬の警備会社に勤めていた融さん。安定した給料はもらえるものの、自分の生き方にモヤモヤした気持ちを抱えていた頃、ふと大学時代によくわらび餅を食べていたこと、そしてそれを見ていた教授からわらび粉について教えてもらったことを思い出す。そこからいてもたってもいられなくなった融さんは会社を辞め、わらび粉の産地を巡って最も理想に近いこの地にたどり着いたのだった。これほどまでに情熱を傾けているわらび粉作りだが、実は年間の売上はたった25万円程度。だが「自分で『本当にこれがやりたい』ってなったのは、わらび粉が初めて」だといい、生活費は山之村の特産品である「寒干し大根」を作る作業など、地域の手伝いをしてまかなう。もはや村の人にとっても融さんは欠かせない存在だ。
 温度や湿度などで出来栄えが左右されるわらび粉。ある日はわらび粉を溶かして寝かせておいた水の上澄みを流してみるが、うまくいかず白いでんぷんと不純物が混ざってしまっていた。ここで成功した後もでんぷんを取り出して長期間乾燥させて…と作業は続き、完成までには実に1年以上もの時間を要する。しかも生産量が少ないため、卸先を2社に絞り他からの依頼は断っているという。ようやく売りに出す昨年生産した粉でわらび餅を作り、味見する融さん。透明感のある黄金色が本物のわらび粉の証であり、口に入れるとサッと溶ける食感が彼のわらび粉の特徴だ。師匠の津谷子さんもその味に感激する。さらに融さんは取引先である日本料理店の主人を公民館に呼び、普段世話になっている村の人達にプロが作るわらび粉のお菓子を食べてもらおうと試みる。「わらび粉を自分の手で作りたい」、その情熱だけを胸に村に飛び込んで5年。たくさんの人に支えられ、失敗を繰り返しながらもわらび粉作りの道をまっすぐに歩む息子へ、群馬の両親の想いが届く。