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#5952月21日(日) 10:25~放送
ハワイ・ホノルル

 2016年、世界中から観光客が訪れるハワイの州都・ホノルルで伝統的なアロハシャツ作りを手掛けていた“KC”こと木内九州生さん(当時51)。ワイキキビーチから歩いて15分ほどの場所で、アロハシャツショップ「コナ・ベイ・ハワイ」を経営していた。26歳で日本を飛び出しアメリカ本土に移住した九州生さんは、15年前ハワイに渡り、たった一人で「コナ・ベイ・ハワイ」を立ち上げた。アロハシャツに魅了されたきっかけは、高校生の時に見た映画「ビッグ・ウェンズデー」。劇中でヴィンテージアロハを着こなす主人公の姿にすっかり痺れた。ハワイの国民服といわれるアロハシャツの起源は、日本人が持ち込んだ着物を仕立て直したものだといわれる。1920年代から作られ始め、かつてはアロハシャツメーカーが何百社もあったが、1955年以降突如激減。クオリティーの高いアロハが作られた黄金期は1948年から1955年の7年間ほどなのだという。そこで九州生さんは、映画で見たもうメーカーすら存在しないアロハシャツを今に蘇らせるため、ヴィンテージアロハを片手に店や工場を回り、失われつつあった技術を手探りで拾い集めていった。こうしてヴィンテージを細部に至るまで再現した彼のアロハは、その品質の高さから世界一のアロハコレクターにも認められる存在に。世界中にファンを持ち、日本のセレクトショップや百貨店にも並べられている。
 大好きな場所に住み、大好きな仕事に就き、大切な家族にも恵まれた九州生さん。その始まりは25年前、ファストフードチェーンの社員として安定した収入を得ていた頃に下したある決断だった。「24歳ぐらいから、一生サラリーマンで終わっていいのか? と自問自答していた。仕事に不満はなかったが、自分が海外に行きたいという想いの方が強かった。やったら何かが変わる。やるってことが一番大事だと思う」。これまで自分の思い通りにまっすぐと生きてきたが、ただひとつだけ心残りなのが25年前、一切反対することなく送り出してくれた亡き父のこと。鍵盤楽器演奏のプロだった父は洒落ていて、ハワイが大好きだったという。「僕と似ているかもしれない。ハワイで親父とビールでも飲めればよかったのだけれど…」と惜しむ九州生さんに届けられたのは、父の形見のアコーディオン。母からの手紙には「パパの一番大切なアコーディオン。ハワイと九州生のそばに置いてくれれば、パパも喜ぶと思います」とつづられていた。
 あれから5年。九州生さん今、世界中を襲った新型コロナウイルスの影響で、危機的状況に追い込まれていた。2020年の3月末に街がロックダウン。観光客もおらず、1年近くが経つ現在まで1日も店を開けることなく過ぎてしまったという。だが苦しい日々が続く中でも、昨年末からはクラウドファンディングを始め、現在はバッグなど新しい商品も作っていると明かす。ハワイもアロハも大好きなぐっさんは、九州生さんが復刻したアロハシャツを着てリモート中継に登場。「アロハシャツは着ているだけで元気になる。それがこのシャツの持つパワーだと思う」というぐっさんの言葉に九州生さんは大きくうなずき、「今はもう、これからどういう風に攻め続けようとしか考えていない」と前向きな気持ちを語る。