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#5932月7日(日) 10:25~放送
ハワイ・オアフ島

 9年前、ハワイ・オアフ島で取材した堀内希珠さん(当時35)。23歳でサーフィンを始め、数々の大会で優勝。わずか5年でスポンサーの目に留まり、プロになる夢を叶えた。2011年には息子の星利(エンゾ)くんを出産。シングルマザーとして、プロサーファーとして日々奮闘していた。毎朝、パソコンでサーフポイントのリアルタイム映像をチェックし、いい波が見つかればすぐに海へ車を走らせる希珠さん。1日でもあけると勘が鈍ってしまうためほぼ毎日海へ向かうというが、サーフィンは常に危険と隣り合わせ。彼女自身これまで何度も怪我をして、顔を20針以上も縫っているという。それでも止めようと思ったことは一度もなく、「波に乗ると心の中にあるものが全部洗浄される感じがして…一瞬“無”になるんですよね」とサーフィンの魅力を語る。
 ハワイに来るまでは日本でOLをしていた希珠さん。25歳のときに「自分の可能性を広げたい」とハワイの大学へ。外国人で初めて首席で卒業し、現在は起業するという夢に向けて大学院でMBA(経営学修士)取得を目指している。プロサーファーの傍ら、デザインやショップのマーケティングなどサーフィンビジネスにも関わり、独学で始めたアクセサリー作りの腕前もすでにプロ級。「努力が大好き」という彼女は、一度始めたことは徹底的に極めるのが性分であり、ライフスタイルなのだ。スポンサーからも「大会に勝つことよりもそのままでいてほしい。サーフィンをする女性の見本になってほしい」とその姿勢を応援してもらっている。
 ゆったりとした時間が流れるハワイでアグレッシブに挑戦を続け、慌ただしくも充実した日々をおくる希珠さんだが、その胸の奥にはどうしても消せない大きな傷があった。それは20歳の時に亡くなった父親との確執。希珠さんが8歳のときに病に倒れ、以降13年間、働くことができず入退院を繰り返した父は、自分には冷たく厳しかったのだという。大嫌いな父とは違う生き方をしたい、そんな想いが希珠さんを突き動かしていたのだった。日本を離れて10年、笑顔の裏で父とのわだかまりを抱いたままハワイで暮らす希珠さんに母から届けられたのは絵葉書。かつてセールスマンとして世界中を飛び回っていた父が、海外から家族に宛てて送ったものだった。母の手紙には「お父さんの夢でもあった海外での活躍を、お父さんは娘に託したのだと思う」とつづられ、お守りとして父が肌身離さずつけていたペンダントが添えられていた。父の葬式でも泣かなかったという希珠さんだが、両親の想いに触れ「今まで前向きにやってこられたのも、父が導いてくれたおかげかもしれない。本当に感謝です」と涙をこぼした。
 あれから9年。ハワイにいる希珠さんとぐっさんをリモート中継でつなぐ。現地でも新型コロナウイルスの影響は大きく、「ワイキキがゴーストタウンのようになってしまって、4分の1の人が失業してしまった」と希珠さん。自身は仕事も忙しく育児に追われる日々だそうで、息子の星利くんは9歳に。2014年にハワイを訪ね星利くんとも対面したぐっさんは、すっかり大きくなった姿に喜ぶ。6年前はシングルマザーで、ぐっさんに「家族がほしい」と語っていた希珠さんは、2016年に結婚。2019年には次男・滋温(ジオン)くんが誕生したという。そして今は4人家族となり幸せに暮らす希珠さんが、これから描く夢を語る。