過去の放送

#57710月4日(日) 10:25~放送
コロンビア・カルタヘナ

 2009年に取材した、野球指導者の阪長友仁さん(当時28)。当時住んでいた南米コロンビアのカルタヘナはサッカーよりも野球が盛んな地域で、市内には少年野球チームがおよそ20チームある。1年3カ月前にこの地にやってきた友仁さんは、小学生を中心に複数のチームを回ってメジャーリーグを目指す子どもたちを指導していた。
 小学1年で野球を始めた友仁さんは、15歳で実家を離れて新潟の名門・明訓高校に進学。3年の夏には念願の甲子園に出場し、立教大学時代はキャプテンも務めた。卒業後、一度は就職したものの野球への想いは断ちがたく、安定した生活を捨て海外で野球に携わる道を選んだのだった。一方、日本で息子の将来を心配する両親は、彼が高3の夏に甲子園でホームランを打った瞬間から野球に取り憑かれてしまったのではないかと考えていた。だが、友仁さんは「ホームランはまぐれみたいなもの。それよりみんなで野球をしていることが楽しかった。むしろそっちの方に取り憑かれたのだと思う」と振り返る。
 コロンビアは貧富の差が激しく、貧しい地域の子どもにとって野球選手になることは甘い夢ではなく、生きていくための手段でもある。潜在的に才能がある子どもは多いものの、日本とは違いとにかく力任せに打てばいいという豪快で荒々しいプレーが主流。地元のコーチも「テレビを観てメジャーリーガーのようにやれば良い」という教え方だった。そんな環境の中、文化や考え方の違いに戸惑い、いら立ちながらも基礎の大切さを教え、懸命に指導を続けていた友仁さん。「僕はプロ野球選手になれなかったけど、その分たくさんの仲間ができたし、野球をやってきたからこそ大人になって頑張れることや気付くこと、助けてもらうことがある。やっぱりそれは、日本の野球にそういう要素が含まれていたからだと思うんです」。技術よりもまずはマナーや規律。こうして教えたことが、たとえメジャーリーガーになれなくても子どもたちのよりよい未来に役立てば、と考えている。
 カルタヘナでの任期は2年。しかし9カ月を残して友仁さんはコロンビア第3の都市・カリに引っ越すことに。まだ野球人口が少ない大きな都市で教えた方がコロンビア全体の野球のためになるのではないかと、自ら移動を志願したのだった。新しい町での活動、出会いに期待しながら「その後はまたそこで考えます」と笑顔で両親にメッセージをおくった。
 あれから11年。友仁さんは6年前に帰国し家庭を持ったが、野球には取り憑かれたままだった。現在は、大阪の堺市で数々の有名プロ野球選手を輩出する名門少年野球チーム「堺ビッグボーイズ」で監督を務めるなど、野球で生計を立てている。そんな友仁さんに、ぐっさんがリモート中継をつないで話を聞く。その後コロンビアに2年間、中米のグアテマラに3年間滞在。かつて指導していたコロンビアの子どもの中には、メジャーリーグの球団とマイナー契約した子もいるという。昨年秋には野球強豪国のドミニカ共和国で学んだ指導方法が評価され、堺ビッグボーイズの監督に就任。しかし、新型コロナウイルスの影響で活動が自粛に。夏になり、ようやく子どもたちがグラウンドに帰ってきたばかりだ。改めて野球ができる喜びを感じる友仁さんが、ぐっさんにこれからの夢を語る。