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#5462月9日(日) 10:25~放送
オーストラリア・メルボルン

 今回の配達先は、世界屈指の水泳大国・オーストラリア。南東部に位置する第二の都市・メルボルンで水泳コーチとして奮闘する草深亜紅さん(34)へ、兵庫県に住む父・正さん(61)、母・弘子さん(61)の思いを届ける。日本を発った時のことについて、弘子さんは「突然、『2年間ぐらいオーストラリアに行ってくる』と言って、そのまま…」と明かす。正さんはそんな娘に「間違えた選択を小っちゃい時からしたことがない」と厚い信頼を寄せるが、弘子さんは「何も持たずに行っているから、ちゃんと生活できているのか心配ですし、コーチ業の様子も見てみたい」と今の暮らしぶりを気に掛ける。
 メルボルン郊外にあるスポーツ施設で、12歳から16歳までの学生およそ20人を指導している亜紅さん。北京オリンピック銀メダリストのヘッドコーチ、アシュリー・ディレイニーさんの下、オーストラリアの代表選手となり国際大会で活躍できるような強いスイマーを育てることが課せられた仕事だ。そのため、練習メニューをどう組み立てるかもすべて彼女に任されている。学生である教え子たちの練習時間は、毎日早朝と夕方。オーストラリアでは自由な指導方針が主流だったが、亜紅さんは効率を優先させた規則的な指導へと切り替えた。教え子の一人、15歳のアイザックくんはわずか半年で自己タイムを10秒も縮めることに成功し、全豪選手権では3位に入賞。水泳協会からも表彰された。
 母の勧めで水泳を始めたのは3歳の時。どんな泳ぎも器用にこなす亜紅さんは、200メートルメドレーの選手として活躍する。高校時代にはジュニアオリンピックで3位になるなど将来を有望視されていたが、19歳になって限界が見えたと感じ水泳競技を引退。いったん就職するも水泳への思いは断ちがたく、高校教師となり水泳部の顧問についた。しかし、そこで生徒と接するうちに、自分のような視野の狭い人間が子ども達を指導する仕事をやっていていいものかと悩むようになり、その答えを見つけるべく28歳でオーストラリアへ。何のつてもなく、当初は野宿をしていたこともあったという。3年間はアルバイトでどうにか食いつなぎながら、ゴールドコーストのアクアティックセンターに毎日通い「スイミングプールの仕事はないか」と粘り続けること実に1年。ようやく水泳コーチの見習いとなる。そしてそこで出会った現在のヘッドコーチ、アシュリーさんが独立するのを機に、1年前共にメルボルンにやってきたのだった。今、指導する中で思うのは、「スポーツで成功できる人はごく一部。だから、水泳をやっていたから強くなれた、これからの人生が豊かになる…そういうことを教えてあげられないとスポーツをやってる意味がない」ということ。教え子には「オリンピックに行くことも一つですけど、一生強く生きていけるスキルもここで得てほしい」と願っている。
 現在は、英語の勉強も兼ねて施設の運営業務にも携わり、息つく間もなく働く。ある日の仕事は朝5時から夜8時まで、自宅に帰るとご飯を食べて寝るだけの生活で、施設内のコンテナで寝泊まりすることも。それでも「好きなことをしてお金をもらえている。毎日がすごく楽しい」という亜紅さん。選手人生に自ら区切りをつけてからもなお水泳を愛し続け、今は指導者として水泳を愛する人々を力の限り支え続ける娘へ、日本の両親の想いが届く。