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#53511月3日(日) 10:25~放送
スイス・チューリッヒ

 今回の配達先は、スイスのチューリッヒ。プロサッカー選手を目指す飯野多希留さん(26)へ、東京に住む母・昭子さん(67)、姉・夏生さん(35)の思いを届ける。「絶対にプロになる」という強い思いだけを武器に20歳で単身ドイツに渡り、現在はスイスのアマチュアリーグでプレーする多希留さん。夏生さんは「スイスに行ってからはパタリと連絡が来なくなった。本人もプレッシャーと焦りがあるんじゃないかな」と弟を思いやる。一方、昭子さんも「送り出すときはどこまでできるかなっていう期待半分だったけども、今はどこで諦めるのかな、という気持ちも出てきた」と複雑な胸中を明かす。
 スイスはヨーロッパの中でもサッカーが非常に盛んな国で、リーグは9部、全部で100チーム以上が存在する。多希留さんが1年半前から所属する「FCバッサースドルフ」は昨年優勝し5部から4部に昇格。しかしプロと呼ばれるのは1部と2部だけで、4部は給料の出ないアマチュアリーグになる。チームメイトたちも他の仕事をしながらサッカーに取り組み、練習は週に3回、夜間の2時間のみ。プロを目指しながらも練習時間が少ないのが現状だ。日本で出会った妻のファビエンさんとは今年結婚したばかり。最初の1年は貯金を切り崩してなんとかやってきたが、生活が苦しそうな多希留さんを見かねた監督の紹介で、今はスポーツショップで週に4日勤務する。「スイスに来る前に掲げていた志っていうのは100%今出来ているかというと、出来ていない。そこの葛藤はすごくある」と打ち明ける。
 サッカーを始めたのは6歳の頃。毎日ボールを追いかける少年だった。14歳の時には、大人に交じりクラブを代表して天皇杯予選にも出場し将来を期待される選手に。しかし一向にJリーグから声は掛からず、ただただ体を鍛える日々が続いた。ある日、その様子を見ていた姉から「そんなに体を鍛えるのが好きなら、消防士になれば」と募集要項を渡される。いつも相談相手だった姉のそんな叱咤激励に一念発起した多希留さんは、大学でドイツ語を学び、休学してドイツのサッカークラブに入団。結局そこでは結果が出せず、2年後に帰国する。東京に戻りサッカーとは離れた生活を送っていた中、アルバイトで携わったボクシングの世界選手権で目の当たりにしたのが、自分と同年代の選手が死ぬ気で頑張る姿。心を動かされた多希留さんは現役に戻ることを決意し、当時付き合い始めたファビエンさんの母国であるスイスで24歳にして再スタートを切ることに。こうして自力で50以上のチームにアプローチし、今の監督に拾ってもらったのだった。
 チームはアマチュアの4部からセミプロとなる3部リーグ昇格を目指し、絶対に落とせない一戦を迎える。多希留さんのポジションは守備を担うサイドバック。ライバルも多く、大事な試合で活躍して存在をアピールしたいが…。「とにかく使わざるを得ないような選手になる。僕はもがき続けます」。絶対に諦めない、初心を貫くようにプロサッカー選手という夢を追い続ける多希留さんへ、日本の家族が届ける想いとは。