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#5289月8日(日) 10:25~放送
アメリカ・カリフォルニア

 今回の配達先は、アメリカ・カリフォルニア州。フードトラックを経営する瀬尾知弘さん(44)へ、広島に住む父・和弘さん(75)、母・哲子さん(75)の思いを届ける。
 カリフォルニア州のロサンゼルスは全米で最もフードトラックが盛んな街。現在3000台以上が営業し、まだまだ増え続けている。道路にずらりと並んだトラックでは、ハンバーガーやタコスといった定番から創作料理まで世界中の様々なメニューが販売され、今やロスの食文化といわれるほど。そんな中でシルバーの車体が目を引く知弘さんのフードトラックは、1960年代のビンテージキャンピングカーを改造した唯一無二の一台。他のトラックに比べて小さいが、調理器や冷蔵庫、水回りなど料理に必要な物はすべて備え付けている。メインメニューは、アメリカではまだ珍しい日本式のカレー。鶏の胸肉と豆がたっぷり入った深いコクのカレーをご飯の上にかけ、アメリカ人の好みに合わせてガーリックチリソースやパクチーなどをトッピングする。このカレーとテリヤキチキン、ベジタリアン向けのテリヤキトーフの3つを中心に、全部で17種類のメニューを提供している。売り上げを大きく左右する要因が、出店場所。さらに常連客を獲得することも重要で、知弘さんは客の名前と好みをしっかりと頭に入れ、他の店よりも多くコミュニケーションをとっている。苦戦する店が何台もある中、味、サービス、アイデアで客を取り込むことに成功した知弘さんのトラックには、激戦区のオフィス街でも長蛇の列ができるほど。創業以来の相棒であるマーテルさんとどんどんと注文をこなしていく。
 知弘さんがアメリカに来たきっかけは、大学卒業後に日本で就職した会社をたった1年で辞めてしまったこと。「行けば何かあるかもしれない」と24歳であてもなく渡米し、熱くなれるものを探していたという。いくつもの仕事を経験し、それでも満足できなかった頃に流行り始めたのがフードトラック。「みんなが試行錯誤しながらビルドアップしているビジネスの中に入れば、自分にもチャンスがあるかもしれない」と可能性を感じ、35歳の時に全くの素人ながら飲食の世界へ。そんな彼の挑戦を支えてくれたのは、他ならぬ日本の両親だった。資金の援助もしたという父の和弘さんは、当時について「創業の1日目に売れたのがコーラ1本。カレーは1杯も売れずに困ったということを伝えてきた。初年度はずっと赤字が続いたんじゃないかな」と振り返る。ただ「2年目からは毎月金額を返してくれている」といい、母の哲子さんも「それが張り合いになっているみたいですね」と話す。
 活気にあふれ、新しいアイデアが次々と登場し日々進化を遂げるフードトラックビジネス。知弘さんは休みの日にもトラックが集まるエリアに赴き、出店場所の雰囲気やライバル店をリサーチする。「やりたいことがある、という思いがあるのならやってみるべき。お金やチャンス、人材が全部一気に集まることは永遠にないと思うし、世の中の成功した人はみんな行動してチャレンジしたからその結果がある。だからやるしかない」と知弘さん。アメリカに渡って20年。本気で熱くなれるものを見つけライバルがひしめく世界で戦う息子の元へ、両親の想いが届く。