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#5227月21日(日)10:25~放送
ブータン

 今回の配達先は、ブータン。53歳で移住し、音楽教師として働く松丸美紀さん(56)へ、東京都で暮らす娘・咲子さん(30)の思いを届ける。
 ヒマラヤ山脈の南に位置し、自然との共生を重んじる国・ブータン。国民の95%は仏教徒で信仰心が厚く、街のあちこちにある寺院で祈りを捧げるのが日常の光景となっている。そんな穏やかな時間が流れ、“幸せの国”とも称されるブータンは、長らく海外旅行客を受け入れていなかったこともあり近代化が遅れ、公立小学校には音楽や図工、体育といった科目がないという。一方、美紀さんが勤める「ぺルキルスクール」は、感受性を養うことが大切だと考え近代的な教育方法を取り入れる数少ない私立小学校。下は小学校未満から6年生まで、全クラスの音楽の授業を美紀さんが1人で担当している。日本で音楽教師をしていた経験を活かして、学年ごとに一からカリキュラムを作成し実践。学校に通い始めて間もない4歳から5歳のクラスでは、小さな子どもを飽きさせないようにクイズやジェスチャーを織り交ぜて、楽しみながら音楽の基礎が学べるよう工夫する。さらに美紀さんの発案で2年前に結成されたのが、鼓笛隊。音楽教育がなかったブータン史上初の鼓笛隊のメンバーは、この学校で初めて音楽を学んだ4年生から6年生の生徒たちで、運動会や式典などで演奏を披露する。今では鼓笛隊に憧れてこの学校に入学する児童もいるほどだとか。
 美紀さんは、娘の咲子さんが中学生の時に離婚し、夫から逃げるようにして2人で家を出た。「娘は同志。大変な状況を一緒に乗り越えてきた」と言うが、生活費を稼ぐため音楽教師から夜勤のアルバイトまで昼夜を問わず休みなく働く日々が10年以上も続く中で、「娘なんか連れてこなければよかった」と思ったことも。咲子さんはひょんなことからそんな母の思いを知ってしまい、ショックを受けたという。時は流れ咲子さんが成人した頃、美紀さんはずっと憧れていた“幸せの国”ブータンで音楽教師の募集をしていることを知る。当時、母の姿を見ていた咲子さんは「日本にいるのもいろいろ大変だろうし、思い切ってやりたいことをやってみれば」と後押ししたといい、一大決心した美紀さんは53歳で移住したのだった。
 ブータンに渡って3年。「離婚後、娘と必死で生き抜いてきたけど自分の中で喪失感もあったし、それを満たしたいという気持ちがあった。ここでは毎日些細なことがすごく幸せで、感謝できることがたくさんある」と、日本では得ることのなかった充実感と幸福感に満たされる毎日をおくっている。そして今、美紀さんにはある秘めた想いが…。ブータンで音楽教師として第2の人生を歩み始めた母へ、日本に残る一人娘がおくる届け物とは。