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#48610月14日(日)10:25~放送
アメリカ・ニューヨーク

 今回の配達先はアメリカ。最先端のアートや流行を発信する街・ニューヨークで、書画家として奮闘する田中太山さん(40)へ、和歌山に住む父・一生さん(66)と母・美良さん(63)の思いを届ける。元々、太山さんの仕事には反対だったという一生さん。半分勘当のような状態だと言いながらも、「絵で生活できるのか、息子のことを思うと自分の仕事も手に付かない」と、様子を気に掛ける。
 太山さんが制作するのは、黒と朱色の墨と筆を使って文字を絵のように描く「笑文字(えもじ)」というアート。前向きな言葉に花や笑顔のイラストが散りばめられた作品には、「見る人を笑顔にしたい」との思いが込められている。太山さんの根幹には、「人生笑っていたらいいことがある」という小さい頃からの母の教えがあり、その教えが自然に作品の中にも入っているという。
 実は太山さんは書道も絵も習ったことはなく、すべてが我流。子どもの頃は漫画家に憧れていたこともあったが、高校卒業後は料理の道へと進んだ。そこで、店のメニューやイラストを描いていたところを常連客に褒められ、思い切って転身。21歳でプロを目指して、似顔絵を描きながら日本全国を放浪した。試行錯誤の末、現在の作風にたどり着いた太山さんは26歳で銀座に自分の画廊を持ち、全国各地で個展を開くまでに。
 しかし、予想もしなかった不運が太山さんを襲う。35歳の時に糖尿病の診断が下り、このままでは余命1年と宣告されたのだ。病気をきっかけに、それまでの人生観が変わった太山さん。「自分はまだアーティストとしての活動を何もしていない。残ることをしたい」と、売れっ子の地位を捨て、あえて自分のことを誰も知らない場所で挑戦することを決意。3年前にアートの本場・ニューヨークで活動するため渡米したのだった。
 ニューヨークへ来た当初は、思った以上に相手にしてもらえず辛い時期もあった。そんなときに心の支えになったのは、いつも笑顔だった母の言葉。「人生、良いときもあれば悪いときもある。でもそれを遠目でひいて見ると、山あり谷ありの曲線も単なる直線でしかないから」。どんな状況も自分の心持ち次第だという母からのメッセージを胸に活動を続ける太山さん。最近ようやく依頼も増え始めた中、原爆追悼イベントのアート展でライブペイントのパフォーマンスを任されるという大きな仕事が舞い込む。自身が描いた巨大な仏画が飾られた会場で、太山さんは床一面に敷いた白い紙に太い筆を走らせる。平和への願いを込め、全身全霊で書き上げたのは「繋」の一文字。“命のバトンを繋ぐ”との思いを込めた作品は、圧巻のパフォーマンスとともに全米各地から集まった人々の心を打った。自分を信じ、書画家として自らのアートを生み出す太山さんの元へ、両親からの届け物が。厳しかった父といつも笑顔の母が、今の息子に伝えたかった思いとは。