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#4767月15日(日)10:25~放送
アメリカ・マイアミ

 アメリカ南部のフロリダ州・マイアミで、伴奏ピアニストとして奮闘する宮崎真沙美さん(30)へ、兵庫県に住む父・久則さん(71)と母・敏子さん(69)の思いを届ける。「伴奏ピアニスト」とは、自分の演奏を聴衆に聴かせるソロピアニストとは違い、メインの歌手や奏者のための伴奏を専門とする、いわば縁の下の力持ち。伴奏ピアニストの腕前次第で主役の出来栄えも変わるほど重要なポジションで、真沙美さんは音大の学生をはじめ、伴奏を必要とする人たちから絶大な信頼を得ている。
 4歳からピアノを習い始めた真沙美さん。華やかな舞台でスポットライトを浴びるソロピアニストになる夢を持ち、大学までピアノ一筋で努力してきたものの、なかなか芽が出ずにいた。実は、真沙美さんは小学校1年生の時にはしかとおたふく風邪を同時に患い、左耳の聴力を失った。しかし、母の敏子さんは「今まで『聞こえないからできない』とか、言い訳だけはしたことがなかった」と言う。真沙美さんは夢への最後の望みをかけて、7年前フロリダの大学に留学。そこで人生を変える恩師・ウイルソン先生に出会い、伴奏ピアニストへの道を歩むこととなる。ソロピアニストとは違い、伴奏ピアニストは周りの音楽家と息を合わせ、柔軟に演奏ができることが必要。ウイルソン先生は「真沙美にはその才能があった。これはどのピアニストでもできることじゃない」と、真沙美さんが持つ伴奏ピアニストとしての才能を見出したのだった。
 私生活では、大学で音楽を学ぶ仲間だったエリックさんと結婚。ゲーム音楽の作曲家である夫と2人、音楽だけで生きていこうとキャリアを重ねていく中、真沙美さんにとって大きな挑戦となる仕事が舞い込む。それは、街の教会で行われるオペラとミュージカルを混合させたショーの伴奏で、本来はオーケストラで演奏するすべての楽器のパートをピアノだけで伴奏するというもの。元々務めるはずだったピアニストが病気で倒れたため、急遽真沙美さんに声が掛かったのだ。「ピンチヒッターでも名前が挙がるだけで感謝」と真沙美さんは言うが、クラシックからミュージカルまで様々な種類の全22曲をたった2週間でマスターしなければならず、失敗が許されない仕事に大きなプレッシャーがのしかかる…。そんな時、真沙美さんがいつも思い出すのが “努力という種をまかねば夢という花は咲かない”という母が大好きな言葉。「一個一個、いただいた仕事をきちんとしていくことが種だと思っている」と、母からの教えを胸に全力で大役に挑む。
 そして真沙美さんの元へ、母の思いが詰まった届け物が…。そこには、アメリカで新たな道を見つけ、娘を応援し続けてきた母だからこその“言葉”が綴られていた。