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#4654月22日(日)10:25~放送
ハワイ・ホノルル

 ハワイオアフ島のホノルルでプロサッカーの国際大会を開こうと奮闘する中村武彦さん(41)と、東京に住む父・一行さん(69)、母・邦子さん(69)をつなぐ。アメリカのプロリーグやスペインの名門チーム「FCバルセロナ」のスタッフとして活躍、国際試合を開催できるFIFA公認「マッチエージェント」の資格を取得し、大会開催に向け奔走してきた武彦さん。両親は「私たちには分からない世界。興行として成り立つのか?思ったような結果にならなかったら…」と心配しつつ、成功を祈っている。
 武彦さんの職業は、日本人では2人しかいない国際試合のブッキングができるFIFA公認の「マッチエージェント」。翌日に本番を迎えた大会「パシフィックリムカップ」は太平洋沿岸地域のサッカーチームを集めて開催するもので、日本からは北海道コンサドーレ札幌といわきFCの2チーム、アメリカとカナダから1チームずつの合計4チームを招聘した。前日の記者会見に出席した北海道コンサドーレ札幌の稲本潤一選手は「日本だけでサッカーをしていると、代表に入らなければ国際大会に出る機会がなかなかない。こうしてひとつのJリーグチームで経験できるのは素晴らしい」と高く評価する。日本はプロリーグができてまだ26年。アメリカは23年、オーストラリアは10年に満たず、ヨーロッパや南米に比べて太平洋沿岸のリーグはまだまだ歴史が浅い。その代表同志が戦える場を作り、この地域のサッカーの発展に尽くして、ヨーロッパや南米に匹敵するレベルに押し上げたいというのが、この大会を作った武彦さんの願いなのだ。
 大会当日、スタジアムで大会運営の陣頭指揮を執る武彦さん。この日を迎えるまでには、膨大な時間が費やされていた。大会の準備を始めたのは6年前。招聘するチームとの交渉のために各国を飛び回り、細かな打ち合わせを繰り返してきた。大会運営費1億円を集めるためのスポンサー探しは困難を極めた。
 幼少期を過ごしたアメリカでサッカーと出会い、大学卒業後は大手メーカーに就職するも「サッカーに関わる仕事がしたい」と退社、スポーツマネジメントを学ぶためアメリカに留学した。その後アメリカのプロリーグで活躍、スペインの名門「FCバルセロナ」にスカウトされるまでになり、その経験を活かしてマッチエージェントの資格を取得したのだ。
 「パシフィックリムカップ」のスポンサー探しに難航していた武彦さんは3年前、大きな決断をする。この大会を開催するために独立し、自身がオーナー(興行主)となることで大会運営費の問題を解決したのだ。しかしそれは、大会が失敗すれば多額の借金を抱えることになり、会社が倒産することも意味していた…。
 成功するための観客動員目標は1万人。達成すれば、来年も開催できる条件ともなる。空席が目立つ中、初代王者を目指して繰り広げられる4チームのトーナメント戦がついに始まった。サッカーはハワイでも人気のスポーツだがプロチームが一つもなかったため、プロ渾身のプレーを初めて間近で見た観客は大盛り上がり。果たして、初代王者に輝いたのは?目標観客数を達成することはできたのか?
 「自分が死んだ後にも長く続く大会になれば…」。すべてをかけた大会を終えた武彦さんに、これまで人生の岐路に立った時いつも背中を押してくれた両親から、届け物が…。それは、サッカーへの純粋で熱い気持ちを甦らせてくれるものだった。