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#4133月12日(日)10:25~放送
パナマ共和国・パナマ市

 パナマ共和国の首都パナマシティで折り紙アーティストとして注目される、さやかモネッスンさん(30)と、鹿児島県奄美市に住む母・ひとみさん(55)、妹・美穂さん(28)をつなぐ。さやかさんがパナマに住むようになって3年。母は「会わなくなって5、6年になる。なぜパナマに渡ったのかは聞いていない。4年前に結婚した夫とも会ったことがない」と心配している。
 現在は折り紙アーティストとして活動しているさやかさん。元々パナマには折り紙の文化はなかったが、昨年開催した展示会をきっかけに、パナマのマスコミがこぞって彼女の折り紙に注目。パナマで折り紙ブームを巻き起こした。
 さやかさんの作品は企業の広告媒体にも使われているほか、アクセサリーも製作・販売している。商品のブランド名は「AMAMI」。さやかさんは「地元愛ですね。奄美大島の美しさを多くの人に知ってもらいたくて」と、その由来を語る。
 奄美大島の自然の中で生まれ育ったさやかさん。しかし、小学生の時に両親が離婚。母が女手一つで家計を支え、さやかさんは長女として兄弟たちの面倒を見る生活を送った。18歳になると美容師になるため大阪へ。そして24歳の時、ヘアメイクアーティストとしてニューヨークに渡った。
 サロンで働きながら「ヴォーグ」など世界的な雑誌でヘアメイクを担当していたさやかさんは、4年前にNYでテレビカメラマンとして働くショーンさん(44)と結婚。しかし現在、ショーンさんはNYに在住しており、2人が会えるのは彼がパナマにやって来る月に1,2度だけ。なぜ2人はNYとパナマに離ればなれになったのか?
 元々さやかさんは結婚を機にアメリカの永住権を取り、NYでショーンさんと暮らす予定だった。しかし、2人が入籍したのが日本だったため、申請の手続きが長引き、さやかさんはいまだに永住権を取得できず、アメリカに入国できないのだ。そこで、さやかさんが永住権を取得できるまでの期間、NYではなく、パナマに家を借り、2人一緒に暮らす予定だった。ショーンさんは、先にさやかさんが待つパナマに向け、ヨットに全財産を積み込んでNYから出港したが…。
 「大嵐で船が沈み、全財産を失った。人生の計画が大きく変わってしまったんだ」とショーンさんは肩を落とす。やむなくショーンさんはお金を稼ぐためNYへ。さやかさんは別のビザでアメリカに入国すると永住権の取得がさらに長引く恐れがあるため、パナマに残ることになったのだ。
 「まさか何も知らないパナマで1人で生活することになるなんて…」。愛する人と離ればなれのつらい日々の中、ふと手にしたのが折り紙だったという。「永住権の取得をただ待っているだけじゃ何も変わらない。それなら、せめて今、この瞬間に自分にできる精いっぱいのことをしようと」。さやかさんは夫婦共に暮らせる日が来るまで、このパナマで1人で生きていくことを決意したのだ。
 持ち前のバイタリティーで、折り紙アーティストとして新たな生きる道を切り開いたさやかさん。逆境にも屈しない強さのルーツは母にあるという。「母が離婚した時は35歳。子供3人を抱えてよくやったと思う。夜中に1人で泣いていても、人前ではいつも笑顔だった母の強さを見習いたい」とさやかさんはいう。
 そんな母から届けられたのは、奄美大島の名産、大島紬のスカーフ。さやかさんが子供の頃、織り子だった祖母の家で織った布を、母がスカーフに仕立ててくれたのだ。「懐かしい!ただただありがたいです。近いうちに彼を連れて島に帰りたい。話したいことがたくさんある」と、さやかさんは家族への思いをあふれさせるのだった。