過去の放送

#40212月11日(日)10:25~放送
アメリカ・ニューヨーク

 今回の配達先はアメリカ・ニューヨーク。シンガーソングライターとしての成功を夢見てこの地で活動を始めた中根しほりさん(36)と、愛知県に住む母・明代さん(57)をつなぐ。日本で確立していた作曲家としてのキャリアを捨てて日本を飛び出したしほりさん。母は「険しい道だと思うけど、好きな道を進めること自体が幸せな事」と応援している。
 2か月前、体一つでこの国に乗り込んできたしほりさんは、NYのハーレムにあるアパートの一部屋を間借りして夢への第一歩を踏み出した。彼女が精力的に回っているのは、さまざまなライブバーで行われている「オープンマイク」と呼ばれるステージ開放イベント。入場料などを払えば誰でも飛び入りでライブが行えるのだ。オープンマイクがきっかけでスカウトを受け、スターダムに登るケースもあるという。オープンマイクは街のいたる所で行われているため、しほりさんは一晩にいくつものステージを回って歌う。
 日本ではシンガーソングライターとしてアニメやゲーム、CMなどの音楽を手掛け、ここ数年は作曲家として高い評価を得ていた。アニメのエンディングに採用された中川翔子の曲や、ももいろクローバーZのヒット曲もしほりさんが作曲したもので、いずれも何百曲という厳しいコンペを勝ち抜いたものだ。彼女がオープンマイクで歌うのは、そんな自身が手掛けた日本では人気のゲームの主題歌。しかし客の反応はいま一つだ。「自信を持ってこの国に来たけど、世界中からやってきたアーティストたちがしのぎを削るこのNYで本当に通用するのか…不安になることがある」と、しほりさんは弱気をのぞかせる。
 ピアノを始めたのは小学1年生の時で、「母が私のピアノをいつも褒めてくれた。母に喜んでもらいたくて練習にのめり込んだ」という。21歳で上京して、働きながら本格的な音楽活動を開始し、26歳の時にメジャーデビューを掴み取った。その後、自身が歌うだけでなく、作詞・作曲のコンペなどにも精力的に挑戦。楽曲が「紅白歌合戦」で歌われるなど高い評価を得ていた。その活動を一旦リセットし、日本を飛び出す決意をしたきっかけは自身の離婚だった。「25歳で結婚。29歳で離婚した。親も離婚しているので、2回家族を失った感覚だった。でも、だからこそ家族のことを気にすることなくNYに行こうと決断できた。結婚していたらここにはいなかった」。
 この2か月、夜ごとオープンマイクに立ち続けるしほりさん。曲を終えようとすると、客席から「まだ終わるな」とばかりに大きな手拍子と大合唱が沸き起こることもあり、たしかな手応えを感じるようにもなった。「アメリカンドリームを達成したい。全米の人が私を知っているという状態になりたい」。そう夢を語るしほりさんに、日本の母から届けられたのは、故郷・名古屋名物の味噌煮込みうどん。厳しい戦いの日々をおくる娘に、少しは安らいだひと時を過ごしてほしいという母の思いが込められていた。「活動がうまくいっていなかった時でも、母は“絶対成功する。信じてる。私は確信してる”といつも言い続けてくれた。そういう時、かろうじて自信を保てたのは、母の言葉が支えになっていたのかもしれない」。しほりさんは懐かしい味をほおばり、一番の応援者である母に感謝するのだった。